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ローマ帝国から学ぶ経済の本質

ローマ帝国が1500年に渡って続いた理由とそこから見える経済の本質について書いていきます。

まず長期間続いた理由は「優れたシステム」と「多様性」です。

ローマ人の徹底した合理主義

当時のローマ帝国は他を圧倒する優れたシステムとそれを支える徹底した合理主義が際立ちます。
ローマ帝国は2世紀前半までは膨張を続けましたが、それ以降はイタズラに版図を拡大せず、河川などにより天然の防衛ラインを構築しやすい場所に国境線を定めました。また、農耕に適していたり、資源を産出したりするなど経済的な利益が期待しやすい地域の支配を重視しました。

また「アッピア街道」で有名なローマ街道は、現代の高速道路のように機能していました。ローマ人は大地を削って真っ直ぐな道を建設し、軍隊の移動を高速化させていました。だからこそ限られた数の軍団でも、広大な帝国を防衛することが可能でした。ローマ街道には駅伝性も設けられており、情報の伝達や物質の輸送も高速化させていたのです。

また、ローマ人は、陸の道路網だけでなく、多数の船が頻繁に行き交う「海の道」も地中海から黒海、北海にまで張り巡らせており、多様な物資が行き交っていました。

このように、グローバルな交通・輸送システムはローマ帝国の長期的な繁栄を支えていました。

そして何より、これらのシステムを活用し、飢餓や干ばつで苦しむ地域への支援を行なっていたことがローマ帝国が長年栄えた理由といえます。
これらの結果、食料に困らなくなり、最近注目されている「ベーシックインカム(全ての人に一定の金額の現金を支給する制度)」に似た世界もローマ帝国では実現されており、国民の幸福度と比例してローマ帝国も繁栄していきました。

多様性を認める文化

ローマの繁栄を支えたもう一つの要因は、民族や出身地を問わず、優れた人材がチャンスを得られる多様性を認める文化です。

当時のローマ帝国では、奴隷でもお金を貯めたり、主人の許しを得られたりすれば、自由を手にして、ローマ市民になることも可能でした。
「奴隷でも希望がもて、差別されていたものでも自由や栄誉を手に入れられる社会だった」「征服された民族はローマ帝国の一員になることを望んだ」
などの論述もあります。

多様性が認められる背景には、異なる宗教や文化に寛容な社会だったことがあります。ローマ帝国は芸術や哲学などの思想を含むギリシャ文化を大胆に取り入れたことも広く知られています。

国民個人の思想が寛容に認められていたからこそ、最盛期のローマ人の愛国心は強く、兵役の義務を守り、有事の際には身を挺して国防にあたることを誓っていました。

このローマ帝国の事例からも現在注目されているダイバーシティが国や企業の発展にいかに重要かが理解できます。

優れたシステムと多様性のように、自由と規律を両立させる仕組みがローマを支えていたと言えるでしょう。

なぜローマは滅びたのか?

これほどの栄華を極めたローマ帝国はなぜ衰退し、滅亡したのでしょうか?
さまざまな要因があり、これが決め手とは言い難いのですが、いくつかのポイントがあります。

一つは、ローマ帝国が東と西に分裂した事により皇帝同士の対立です。そしてもう一つはキリスト教の普及です。

東と西に分裂し、皇帝同士が対立した事により、それぞれが困難に直面しても協力しないようになっていきました。結果的にこれまで富や資源を分配していたシステムは崩壊し、それぞれが独占するようになったことがローマ帝国の衰退につながった一つの要因と解釈することができます。

またローマ帝国衰亡にキリスト教が与えた影響も大きいです。
一神教であるキリスト教が普及した事により、異教に対して厳しいスタンスを取る排他的な側面も目立ちました。そしてこのキリスト教が国教化され皇帝の権力と結びついたことが、ローマ帝国の強みだった多様性・寛容性にマイナスの影響を与えました。

ローマ帝国から学ぶ経済の本質

ローマ帝国の繁栄から衰亡の歴史を通し、国や企業の発展で大切な事は、
①独占ではなく相互に支え合うシステムの構築
②異なる文化や価値観を受け入れ共存する多様性

この二つが大切であるということが分かります。


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