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気が狂うほどの努力しかない

前提


この話をする前に踏まえておかなければいけない事がいくつかあるので、先にそちらからお話します。

まず、会社などは人材が流動的であるが、人に左右されず、常に一定のパフォーマンスが出せるようにするためにマニュアルがある。
つまり20点の人でも60点の成績が出せるようにしているのである。
この場では、努力しないからできないんだという強者の論理は通用しない。
なぜなら、どんな能力の人でも平均点が出せるよう体系化しなければいけないのが会社の役割だからだ。

公立の学校もそうである。みんなと同じペースでみんなと同じように歩むことが求められる。どんな子でも平均点が出せるように体系化しているのが学校である。なので、その学校を運営する人や先生が努力が足りないからダメなんだ。と弱い子を切り捨ててしまうのは辻褄が合っていない。なぜならそれを救うのが先生の役割だからだ。


強者の論理を否定する人

今日お話しするのは、以上のことを除いた場合のことである。

僕は野球の世界に16年程いるが、この世界には「お前は努力が足りないからダメなんだ」という言葉が普通に飛び交っているんですね。
それに対して、「それは強者の論理だ」とか「努力しなくてもできない人がいる」と反論される方がいらっしゃるが、僕はその「強者の論理」を否定する人に対して、何言ってんだと思っています。

この世界は、会社でもなければ学校でもないわけで、生き残るのは気が狂うほどの努力をして結果を残した人だけである。そこには努力ができない人を救う義務なんてどこにもないんです。
全て自己責任であり、変態的な向上心がレギュラーを獲得する際のドレスコードで、努力できないならやめちまえ。っていう強者の論理を軸に回っている世界である。

例えば、体が細くバットが思うように振れない人が、「どうやったら打球を遠くに飛ばせますかね?」「インサイドアウトのスイングができていないんですかで」と言ってきたら、良いから体を大きくしてバットをたくさん振れよ。体が小さいなら守備を死に物狂いで取り組んで、自分が生きる道を見出せよ。という話であり、レギュラーを獲得するには、自分が持っている能力を武器に他者より優れた選手になるしかないんです。

それに対して、「あなたはそういう努力をできる人だから言ええるだけだ。」「みんながあなたのようにはできない」という反論は通用しないんです。この世界では、できないならやめちまえ。で終わりなんです。

キャプテンであっても、1.2年生の時は活躍してた選手でも、結果が出なければ使われないわけで、自分のパフォーマンス以外は自分を守ってくれるものは何一つないんですね。怪我すりゃ首だし。病気になれば首で、そこに道徳はないんです。


ちゃんと住み分けしましょう

一方で、一見矛盾しているようだが、強さっていうものは弱い人を守る為にあるものだと僕は思っています。要するにちゃんと住み分けしましょう。ということである。

努力しないことがゴキブリのように扱われる事が嫌なのであれば、そういう世界には行かないことをおすすめします。
なので、もしこれからそういう世界に行くのであれば気が狂うほどの努力をするしかないよ。というお話しでした。これは自分にも言い聞かしている事です。

最後まで読んでくださりありがとうございました🙇‍♂️


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