推測と問題解決
人間関係のトラブルは後を絶たない。
対応しながら、因果関係を把握すれば今後の動き方や問題との向き合い方が見えてくるのではと私は考えてる。
子ども同士の喧嘩の場合、いじめがある可能性がある時、親の対応は難しい。
子どもには親が後ろに控えていて、子ども同士のトラブルも、親の責任でそれぞれ問題にどう対応するかで決まると思うし、親の道徳感覚にも左右される。
そして、関係する人間が増えるほど、背景から考慮する事も増える。
親の立場、子の立場になってどう考えるのか、行動の心理背景や意図を検証してみる。
下の解決例を参考に、人物像から行動の動機と問題解決の仕方、今後のリスクについて考察する。
①問題発生
この母親は典型的なESFJの心理、動き方をしている。
「血の気が引いた」
「震えが止まらない」
☝️起こった事実に瞬間的に外向きの感情Feがすぐ反応している。
ENFJとの違いは、ESFJは感情行動が、より直球でせっかちになる。経験則を頼り、会話は具体的、そして行動に計画性はあるが戦略性は見当たらない。
感情的に行動すれば、後々不利になる事がわかるかわからないかの違いが短期と長期、戦略や見通しをもつか、の違いかなと私は考えている。
見通しがつけば、せっかちになる必要はなくなる。
ENFJは相手に説教にいくというより、相手を理解しに行く共感姿勢が行動の目的になるので、最終的なゴールにも違いがあり、先の行動で違いとして現れてくる。
ESFJは上下(説教や間違いを正したり、自分の考えを修正したりする他者方向)で集団を見ているが、ENFJは横並び(みんな同じ人間、理解し成長し合おう)で集団というより人間を見ている。
物事の捉え方や見ている所が違うので、目的もゴールも最初から異なり、解釈も異なるから行動言動ももちろん違ってくる。
これが意思決定背景の違いであり、性格の違いとして表面化する。
それも踏まえて人物を観察してみれば面白い。
NFJは、息子だろうが親だろうが誰であっても、人間相手の実験的な試行錯誤と向き合い方は、基本変わらないだろうなと思う。
ENFJは人類愛が、より前面に出るからESFJとの違いはわかりやすい。
母性的な正義感が、前面に出ているのがESFJの印象としては多い。
しかし、その正義感や使命感が感情的な衝動性と結びつくと「お節介」だと取られたり、相手から押し付けがましいと見えるかもしれない。
結果的に、相手から善意を受け取られなかったり、他人に遠慮して自分に我慢を強いる事になり、善意を理解できない他人に悲観し、怒りや絶望感に打ちひしがれる機会も多くなるだろう。
さらに、他者に気を使い過ぎている自覚がない事も問題で、こういう心理傾向から精神バランスを崩すリスクも高い。
問題を通して、その対応や行動特徴を見ていく。
怒り感情と衝動性が出ている。
何に怒っているかというと、
「息子が暴力被害にあった」という事実に対して。
感情は物事を冷静に検証する事より、衝動性は行動を先走らせる。
母親は感情に任せて行動しているが、問題解決のため、できれば子を尊重する姿勢に軸をおき、親は先走って動かない方が良いかなと私は思う🤔
注目すべきは「何をされたか」より「相手はなぜこんなことをしたか」ではないかと考える。
全体の背景を考え原因を割り出し、相手を理解する事が先決だと私は考えるし、問題が起こってから戦略は始まる。
ケンカは謎解きみたいに考えれば良いと思う。
起こった問題には、必ずそれを引き起こした原因があるから、その背景から因果関係を明らかにしていく。
どんな事もそうだけど、失敗に嘆いても、怒ってもどうにもならないから、それを良い方向へ変え、逆にそれを利用してしまえば良い。
今ある現状をどう利益に繋げるか、win-winを目指していこう。
それが未来の可能性ではないだろうか。
怪我をしてもただでは起きず、たとえ改善できなくても全部自分の学びと経験値になる。
そうすれば、また次の問題解決に応用して生かせるしね。
問題解決を通して得た情報や知識は後々重宝し、それが私の日々の学びになっている。
私は本を読んで調べたり自分の考えをまとめ応用していくのが好きで、そのため独学が多い。
観察からわかること🕵️
この母親の記述が事実だとして、今度は私なりに観察から推測していく。
私ならこの状況、何を考えどう動くだろうか。
感情が落ち着くまで待ち、まず傷の手当をする。
手当をしながら、さっさと観察を進めよう。
暴力を受けた事実、息子の話と憶測から衝動に駆られて動くより、冷静になり息子からもう少し事実関係を尋ね、ランドセルの破損状態から状況と原因を見極めたい🤔
まず息子と相手の関係性。
☝️この前に何かなかったのかが1番気になる。
原因は何か、の足がかりがここに隠されてる。
息子がきっかけを作った可能性
この問題の発生は何がきっかけなのか。
これがわからないと結局何も解決できない。
相手の暴力は、何かきっかけがあったと考えて自然。
息子が「何かしたのか、言ったのか」が非常に重要で、多くの場合自分の不利になる事を母親には報告しない。
隠し事があると整合性が取れなくなってくるが、母親も「うちの息子に限って‥」という身内目線があるから問題の原因が有耶無耶になりやすい。
息子が家でウサギ、外でライオンだとは誰も思わず、反対もある、これは大人もそう。
家庭環境が悪いと本来の骨格の性格と逆転してる事も多い。
私は、言葉は誰であっても言葉通りそのまま受け取り「なぜだろう?」と背景から自動的に意図を考えてしまう。
警戒ではなく、純粋な疑問(好奇心)を持つ。
⚠️警戒が先にあると、斜め目線の解釈になり結論が偏見に傾いていく。
いきなり後ろから背中を突き飛ばし、馬乗り、ぐーで叩く という状況は、以前にも何か両者間でトラブルがあったと考えた方が自然。
知らない相手、1年生相手に3年生がするだろうか?
それなら学校で名前が噂されててもおかしくない。母親間でそんな子どもはいただろうか記憶を辿ってみよう。
そして、息子と相手は以前からの知り合いの可能性が高い。
「相手の家を知っている」は、帰り道に見かけた程度なのか、遊びに行った事があるのかで2人の関係性は大きく変わる。
息子が話を誇張していないか、話しにくい事はないか事実と観察が一致するかどうかを確認した方が良い。
相手は息子に何らかの感情を抱いているだろう。
「好き・嫌い」の話ではなく、息子が相手の負の感情の捌け口になっている場合は、今後いじめに発展する可能性があるし、他にも被害者がいる可能性もある。
そこも調べてみる必要がある。
相手の状況と息子との関係性が見えてくると話が進めやすくなる。
相手からの謝罪はあったのか
これについても記載はないが、謝罪があった場合も話はまた変わってくる。
たとえ、暴力があったにせよ子ども同士のよくある喧嘩である可能性も‥
しかし、叩いて防犯ブザー引きちぎっている時点で、小学3年生、謝罪はまだないと考えた方がここでは自然。
事実と状況の整理
・わあわあ泣きながら帰ってきた
・ピカピカのランドセルにも傷、防犯ブザーとお守りを引きちぎられた。
・膝から血が出ていた
・相手は3年性男子
膝からの血は突き飛ばされた時のもの、片膝なのか両膝なのか?→意図的なのか、そうではないのか
相手は息子を押し倒す力があり、おそらく息子より体重があり体格は大きい
言葉で攻撃するよりも、力任せで直情的
衝動性も考えられるが、おそらく「何か」に反応したんだろう。
防犯ブザーとお守りはおそらく一緒にぶら下がっていたもので、それを引きちぎるのは
「大人に知られたくない」
口封じ的な意味があった可能性?
いや、小学3年生そこまで考えるだろうか?
もしそうなら、ここでいじめと相手の感情の捌け口である可能性も高まるわけだが、小学3年性、どうも暴力にきっかけがなかったとは思い難い‥
しかし、相手の直情的な性格から判断するに、上から目線の対応では詳しい話を子どもから聞き出すのが難しい事、親がフォローしきれていない環境である事も予想がつく。
おそらく親は子どもの帰りを待つ環境ではなく、仕事が忙しいか、何か問題がある可能性。
もし子どもから話を聞く場合、お菓子でも持って訪ねた方が良さそう。
力まかせの子の場合、親から同じように力で圧力をかけられているか、自分の力加減がわからなくて感情任せにしているか‥親子環境にもよる。
訪問の際は、虐待がないかも身体を注意深く観察が必要。
仮に事実を隠そうとした行動なら、見つからなければ悪い事をしても良いと考えている。
良い悪いが咄嗟にわからなくなり力を制御できず、悪い事の認識よりも「見つかればまずい」が先行している可能性。
人気が少ない通学路が現場だろうか?
これは息子に確かめる必要がある。
そうでなければ誰かが目撃して明日、学校で噂が広がっているかもしれない。
学校側に子ども達の心理的なフォローをお願いした方が良いだろうな。
観察からわかる可能性と対応について
・息子がきっかけを作った可能性
・相手の感情の捌け口にされているなら、隠れたいじめが他の子にもあり、今後発展する可能性
・善悪の認識よりも「見つからなければ良い」損得基準で相手が判断している可能性
・上から親目線の対応では話(本心と理由について)を聞き出すのが難しい
・相手親がフォローしきれていない環境
・発生原因が不明(衝動性なのかどうか)
この辺りを考えながら対応と検証しつつ絞っていくだろう。
②訪問
母親は直接相手宅を訪ねている。
訪ねた目的は、事実確認より「相手を叱って謝罪をさせること」になっている事がわかる。
母親は子どもからの謝罪で満足している様子が伺える。
謝罪目的は、親が不在だったからとも考えられるが、事実の確認や相手の理解が目的であれば、親の在宅時に出直すという選択を取っていただろう。
事実検証と相手の背景まで考慮できず「暴力をふるった」→「相手が悪い」とし、目先の事実だけに注目している様子も伺える。
確かに暴力だけ見れば「悪いこと」だが、まだ原因、真相がわからない状態で、決めつけるのは早計。
📝子どもに、欲望(所有)の意識がある親は多く、ほとんどの人がそうだろうと思う。
これは「守りたい」「心配」などの独占的な特別の情が先行する。
気をつけたいのは、親(自分)=子ども となり感情に結びつくと、他者に冷静でいられず理性的に判断ができなくなる事。
できれば、自分と子ども、別々の個人として尊重し、息子と相手の子を同じ目線での対応をぜひ心がけたい。
恋人、友達であっても「守りたい」「好き」私情が先立つと味方目線に偏って事実と原因、公平な姿勢を見失いやすい。
自分の欲望が先立つから、物事をフラットに見る事も難しい。
誰かの味方に偏ると真実は見えてこないと私は思う。
📝感情的に行動した場合、問題解決より目的が「私(母親)の感情を落ち着かせてくれ!」になりやすい。
怒っていたら怒りを鎮めて欲しい、泣いていたら悲しみを慰めて欲しいが優先される欲求。
だから感情的な相手に論理的に説明したところで話は進まず、返って相手を激昂させるか落胆させるだけ。
ESFJは「私の話を聞いて!」の姿勢なので、対応するなら、まず素直に相手の話に耳を傾け、感情を落ち着いてもらう事を優先した方が良い。
👆これを聞き、母親がなぜ出直さなかったのか不思議に思ったが、やはり行動の動機は、最初から話し合いというより「子どもからの謝罪目的」だったと納得できる。
相手の父親は不在、母親は仕事が忙しい様子。
帰宅するまで妹(幼稚園)と留守番をしているようだ。
しかし、相手親の不在時に押しかけた事で、こちらの印象が悪く、これから親同士の話し合いに発展した場合、最初から話し合いを拗らせ長引かせる可能性がある。
母親の、この対応は虐めと同じように私は思えてしまう。
「理由を聞かせてほしい」と言いながら、子どもが怖くて話せないことを母親は知っているだろう。
「目上からわからせる」姿勢があると子どもは圧力で何も言えなくなるから注意が必要。
大人の立場から子どもに伝える姿勢は、怖がらせ上から言うものではなく、この状態での謝罪にあまり意味はないと思うし、相手の子どもに恐怖心を与えただけだろうと私は感じた。
有効な手段かもしれないが「脅し」と似ている。
「相手に言いたい事を言ってやった」という感情的な本人(母親)のスッキリ感と達成感がわかる。
母親の叱り方が日常的にこうなのか、或いは我が子に溺愛し、他者にこの対応なのか分かりかねるが、感情にかなり左右されやすい人だというのも、ここからも伺える。
行動(暴力)だけ切り取って叱りつけるだけでは、怒られた事実と恐怖感情しか相手の子ども(小学3年生)は理解できないだろう。
「なぜそれがいけないのか」子どもに伝わるだろうか?
突然の高圧的な訪問で相手の子(特に関係のない妹)にトラウマを与える可能性と、その事について相手親側から、こちらの非を指摘されるリスクさえある。
そうなると息子の心まで傷つける事になり、ランドセルの弁償の話(必要であれば)を進めることも今後難しくなるだろう。
「自分が同じ事をされたらどうだろう?」と母親は相手に想像するように促している。
ここから「自分がされて嫌な事は相手にしない」が母親の基本道徳スタイルだとわかる。
これを基準にしている人は非常に多い。
一般的で最もな考え方。
しかしこれに固執すると
「自分がされて嫌でもない事は許される」
「自分がされて嬉しい事を相手にしよう」前提になり、一方的に見た自分基準の善悪の形に偏りやすい。
自分基準の物事の見方で、この方はお節介もあるだろうというのも推測できる。
外感情的な善悪の決めつけが先行し、感情的にせっかちに先走る心理傾向が文章全体的にみられる。
その場合「相手の真実はどうなのか」相手個人の背景想像を省いてしまう事になるだろう。
自分=相手=みんな=調和=善=道徳倫理
私がされて嫌な事は悪であり、悪は正すべき理想と善の形になりやすい。
よって、自分から見た「悪の背景」に気付かず、それを考慮できない。最初から悪を理解する姿勢はなく、善悪そのものを見誤ってしまいやすい。
📝自分基準で物事を捉えると、お節介も多くなり「悪は罰しなければならない」と自分本位の善へのこだわりと決めつけに繋がり、相手の事を真に理解する事は難しくなる。
自分視点と相手視点から「相手は本当はどうなのか」に注視すれば、たとえ表面的に悪に見えることでも、相手なりの理由や背景がある事、大切な事が自ずと見えてくる。
悪は悪、善は善の側面だけではなく、善も悪もそれを全部含めて相手の姿だと理解できるはずだ。
どんな善も時間軸においては、悪の側面があり、悪にも善の側面がある。
今伝えた事がたとえ相手の胸を刺す言葉(悪)であっても、それをキッカケに考え、自分の中に何かを見出せたならそれは相手の成長である(善)し、今伝えた事が優しく心地良くさせるもの(善)でも、後々あなたと合わなかったと一方的なこちらの都合で相手を傷つけるなら(悪)になる。
相手への一貫した責任と自分の言葉の重みを自覚する。
自分を知り他者を知るほどに自分の言葉には苦しいほど責任は増していくだろう。
相手にとってそれが「必要なのか」「必要ないのか」天秤にかけて推しはかる。
何度も言うけれど、善も悪もないと私は思う。
人間なんだから善も悪もあって当たり前。
だから誰であっても善の立場から誰かを見下したり罰するものではなく、相手をそのまま理解する謙虚な姿勢が大切だろうなと思う。
母親が提示する「もうしない」の条件は「今度同じ事をすればお母さんに言う。でも私の権限で内緒にしておいてあげる」になる。
秘密の共有は、相手の心を縛り付ける。
「息子に何があったのか」「息子の心が痛んでいる」という事より「息子を虐めたから、私は怒っている」が重要視され、この言葉、母親は息子に代わって仕返ししに来たに近い。
既に 母親=息子 同一視している‥
「私(息子)に謝って欲しかった」と母親の行動の意図を解釈した。
表面的には「ごめんなさい」「いいよ」の世界だけれど、この説得の仕方、子どもの恐怖心を利用する脅しのように私には見える。
母親の倫理観は「悪いことも自分の権限で許す」ので、相手の子どもに「悪いこと」について考えさせる材料が「脅し」になっている。
「悪いこと」⇔怒られるからやっちゃダメ
この認識が怖いのは「怒られるから悪いことしちゃだめ」という学びにしかならない事だ。
何が悪いのか自分の損得しかわからない大人になる。
母親自身、なぜ悪いことなのか深く理解されていないようだ。
自分が有利になるなら「見ていないことにしてやる」では、善悪は「見つかるか、見つからないかの問題」で悪い事だと頭では分かってはいるが、損得勘定で物事を判断していると言えるだろう。
問題解決に向かうには
問題と感情は分けて考えると、何が問題かを認識しやすくなる。
↓先ほどの検証材料を振り返る。
目的を明確にする
(目的)今回の件の原因と事実を知り、再発防止に繋げ和解する
⚪︎子ども含めて両者話し合いの場を設ける
(親同士でなく学校に間に入ってもらい相談)
⚪︎子どもを責めるのではなく原因究明の姿勢を貫く(子どもが隠し事をせず相談しやすくなる)
⚪︎事実があったなかったで揉めないように即対応する。(息子がきっかけなら謝罪の必要がある)
⚪︎今後のいじめの可能性、原因について学校と一緒に考える(環境の問題、学校としての見守りの必要性→今後のリスクをなくすため)
⚪︎子供たちの善悪について考え方を学ぶ良い機会にする、学校での道徳のあり方(先生に提案)
(「見つからなければ良い」ではなく、何がいけないのか自分で考え、子どもの中に明確な倫理判断軸を作っていくと状況に流されなくなる)
目的の理由まで明確にすると計画とこちらの主張はブレないと思う。
👩「先生にも今回のことを知っておいてほしいから、これから学校に電話をするけど大丈夫?」と息子に尋ねてみれば良い。
息子の次の反応次第で今後の道が決まる。
→自分に隠し事や不満、今後の仕返しに怯えている場合などは「やめて」と抵抗するはず。
何に不安があるのかを尋ねて安心させると良い。
この時はじめて自分に原因がある事を話しだすかもしれない。
「学校にこの件が知られる」と思うと秘密は隠せないと子どもはわかるから、何も言わずにそれを待てば良い。
この時息子が何を伝えても「なぜ言わなかったのか」と親は責めないで、ただ事実を受け止める。
責めるとそれ以降信頼をなくし、親に何も言わなくなるだろう。
何でも素直に言える家庭環境が大事だと思う。
子どもが何も言わず、連絡をどうしても嫌がる場合は、無理にせず学校に対応の相談、今の状態だけを報告しておくかな、先生に手紙のような形だろうか‥
この場合はできるだけこっそりになる。
暴力があった事、原因はわからない事について。事実だけに留めこちらの推測は、余計な憶測を生むのでいっさい言わない。
おそらく学校側から何か連絡してくるだろう。
学校に事実を伝える事で、生徒に注意が向けられ問題の再発防止にもなるし、他にイジメがある場合は学校側から情報をもらえるだろう。
私なら観察すべき点を押さえながら、学校主導で見守りをお願いする形で少しずつ話し合いを進めるかな🤔
※親と直接やり取りをせずに学校に間に入ってもらう方が良いだろう。
たとえこちらに否がない時も、相手親に直接交渉したのでは攻撃だとみなされる事も多く、冷静なやり取りができず中断する可能性もある。
こちらに明らかな否がある場合は、すぐにでも直々に相手の親と子どもに謝罪に行った方が良い。
そしてその場で解決の糸口を探していく。
そういった親の真摯に向き合う姿勢から、子どもは学ぶ事も多いだろうと私は考える。
大人はいつも子どもの手本になれるように言葉を慎み、行動には責任を持つべきだろう。
学校にすぐクレームを入れる親は存在して、私もその話をよく聞くけれど、学校を敵にしても物事は上手く運ばないのにな‥とは思う。
何がしたいんだろうな。
私は、この件、息子にも(当日の事とは限らず)何らかの原因があるのではと考えている。
例題はここまでなので、真実とその後の詳細については分からないけれど‥、話し合いが進めばこの予測の確立が上がるか下がるか、新たな事実が浮かび上がるかで、どんどん変わっていくだろう。
そうすれば少しでも真相に近づけたのかな。
③結末
これは帰宅後の親子の会話になる。
母親と息子の安心した様子が伺えるが‥
大人が子ども相手に、上記、武勇伝みたく語るのは「息子のための正義」の形ばかりの見せかけだなとも思う。
親子はそれで一時は感情的にスッキリするかもしれないが問題の解決には至らず、果敢に立ち向かった?結果、未来に不安要素まで残す事になっている‥
最初から大人は大人に事情を尋ね、それから子どもらを交えた話し合いに持っていく流れが良いだろうと私は考える。
学年も上がれば、子どもは子ども同士の解決の仕方があるだろうから、それにゆったり任せてみるのも親子の成長ではないだろうか。
多くの場合、子どもは自分から進んで色んな事を学んでいく。「リスクだリスクだ」と親が、転ばぬ先の杖になりすぎては、子どもの自律や成長のためにも良くないだろうなと私は思う。
失敗も成功も、子どものもので親のものではないのだから、親なら黙って見守るくらいがちょうど良く、何かあれば直ぐに対応する臨機応変な姿勢で良いのかなと私は思うんだ。
安心して失敗できる教育のあり方や社会になれば良いな。誰にでもチャンスはあると思えるから。
「一度でも失敗したらもう後がない」なんて生きづらいし、未来に怯えるのもわかる。
そして自立するためには、せっかくの子どもの成長機会を奪ってはいけないし、親のエゴを押し付けられた子どもは、アイデンティティの確立にも問題が生じるだろう。
子どもを大切に思うなら個として尊重し、溺愛しすぎず、放任しすぎず、遠くで見守り、その成長を1番に願い、いずれ手放す(自立)ことを目的にするのが理想ではないだろうか。
子どもは親のものではなく、1人の人間。
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