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近代国家の基盤(官僚制とは)

近代国家の基盤とは、法律と簿記に基づく企業運営です。

法律と簿記とは形式論理学が基盤です。

形式論理学とは

同一律 AはAである。
矛盾律 AはBである。AはBでない。これら二つの命題は成立することはできない。ともに成立することもできない。
排中律 矛盾の中間はない

これが、形式論理学ですが、どういうことかというと、矛盾絶対禁止ということです。

特に、数学では矛盾絶対禁止でして、これが数学に天をつく生産力、法律に社会形成力を与えました。

要するに、鉄は鉄で、金ではない。銀はプラチナではないということです。

私のものは、私のもので、他人のものではない。

これが、私的所有権で、近代国家の基礎です。

私のものであるようであり、他人のものでもあるような・・ということはあり得ません。

これが、私的所有権の絶対ということです。

ですから、行政というものは、法律に基づくもので、矛盾する法律というのはあってはならないものです。

ですから、必要とされるのは暗記力です。

ものの名称、法律の語句を正確に覚えて、正確に区別して使う能力が求められます。

政治家の場合は、これとは別に、矛盾に満ちた世界で、正解を求める能力が必要とされますから、官僚と政治家は、全く別の生き物です。

官僚は、指導者、君主、王の恣意から、明文化された懲戒基準によって、その地位を守られています。

これが近代国家です。

この、官僚制度は、破壊不可能です。

フランス革命でも日本の敗戦でも、官僚制度は残りました。

この、高度な専門家の集団が、近代国家の基礎です。

では、近代国家の最高権力はどこにあるのでしょうか?

実は、立法府である議会です。

この、官僚制度というマシーンは、法律によって動くのです。

ですから、大統領や、首相、最高指導者よりも、議会に最高権力があるのです。

近代国家の行政とういうものは、カリスマ指導者の恣意によって、歪んではならないもので、ましてや、法律は事情によって伸び縮みする物差しなどではあっては、ならないのです。

現代では、国家のみならず、大企業も官僚制ですから、いくら社長でも、「明日からきみクビね」なんて言えるはずがありません。明快な懲戒基準が定められていなければならないのです。

これが、近代国家というものです。

要するに、どんなに心情的にこうだと思っても、法律は法律だから・・ということです。

ただ、例外のない法律はないと言われるように、矛盾に満ちた現実では、法律外での決着とか、政治的判断ということも、たまにはあるようです。

しかし、原則は、法律は法律なのです。

だから、戦争をやめさせようと思ったら、指導者を批判するなどではなく、議員に働きかけ、戦争継続ための予算を、議会で否決するべきなのです。

予算の議決権、これが国家の最高権力です。

議員はしっかりしましょう。

え〜実際、革命と言いましても、人類の歴史で、近代の官僚制度が破壊されたことはありません。

フランス革命と言いましても、実際は指導者層が変わっただけで、正確にはフランスクーデターというべきものでした。ドイツでも同じ。日本でも同じ。

官僚は、残り続けたのです。

官僚とは、暗記力、要するに専門的な知識、学校の成績、学歴などで選抜され、何よりも必要とされるのは、専門性と、暗記力で、財産のない人間が好まれて、選抜され、まあ、高度な、人間コンピーューター、官僚制という巨大なマシーンです。

このマシーンは法律により動きますので、権力は議会にあります。

日本では、1990年代、中曽根康弘、田中角栄、池田大作、渡辺恒雄、笹川良一、不破哲三さんなどがいたのですが、みんな松本に押し付けて、どこか行ってしまい、松本は泣く泣く、ちびちび、政治をやっていたという・・・・

まあ、これも、クーデターといえば、クーデター・・・・・・。

ほんま、いい加減にしろよ・・・・・。

こんなこと、ほんと、一円にもならない・・・・・。

まったく・・・・・・・。







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