母と歌えば2024⑬
「はい。」
バス通の道端でつんできたキバナコスモスを玄関先で渡すと、母は予想通りとても喜んだ。
今年の母の日、私は十九歳の息子に
「びーちゃん〔母の呼び名)ちにプレゼントを届けて。」
と頼んだ。花屋で花束を買って行ってもらおうかと思ったが、息子が
「オレ、花って一回も買ったことないんだけど。」
と言ったので、少しハードルを下げることにし、プレゼントは前日に私が買って来た。風景と野鳥のぬりえ。治るまでに数ヶ月かかったひどい風邪のあと、気力体力が戻らず、水彩画教室を休んでいる母が
「ぬりえでもしようかな?」
と言っていたので。
母の日のプレゼントを用意するたびに思い出すことがある。私が幼稚園の時、妹が生まれた。ちょうど母の日の時期だった。私は父に連れられて、病院へ母のお見舞いに行く時、幼稚園で作ったプレゼントを持って行った。紙皿の丸い部分にクレヨンで母の似顔絵を描き、周りのギザギザの部分の溝にさまざまな色を塗ったもの。幼稚園の先生が穴を開けて、リボンを通し、壁にかけられるようにしてくれた。
「お母さん、ありがとう。」
母が言うには、大きな部屋に一人で寝かされていた母に、私は手にプレゼントを下げ、部屋の入り口に立って、震える小さな声で、そう言ったのだそうだ。
「その時、とても嬉しかったの。」
何を貰っても、その時の喜びを超えることはないのだと言う。その上、サプライズや大袈裟なことが好きでない母。でも、何もしない訳にもいかないから、プレゼントはごく質素なものになる。
「これ、細かくて難しすぎるよ。まだ、眺めてるだけー。」
母は塗り絵のことをそう言った。だけど、母はずっと水彩画の教室は休んでいるし、背中にできた粉瘤という出来物を一昨日病院で切除して縫ったばかりなので、抜糸するまでプールにも行けない。いつもより暇なはずだから、塗り絵、やってみればいいのに。
「運動もねー、やっちゃいけないことが多くてー」
背中に傷が治りにくくなるので、あまり大変な運動はしないように、と病院で言われていた。
「山登りとか、ジムトレーニングとかはやめてくださいね。」
と言われただけなのだが、母は
「ラジオ体操だってできないのよ。まず最初に、『手を大きく上に上げてー』だもん。」
と言う。そうだねー。
とりあえず、いつものボイストレーニング。手を上げるものは避けて、首を動かしたり、足首を回したり。
「膝の屈伸してみましょう。」
生真面目な母はしっかりと腰を下まで下ろして屈伸をした。すると、少しよろけた。なかなか、難しいんだねー。
「歌は『学生時代』がいい。」
母は以前渡したコピーを見て、そう言った。それ、秋の歌だと思うけど、まぁ、いいか。一番から三番まで歌うと、母は
「来週もこの歌でいい。」
と言った。まぁ、それでもいいけど。