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本屋にとける

その本屋の場所は特定できない。
何しろ訪れたものを溶かしてその一部にしてしまう魔物の一種だから。

特定できない、というよりは移動しているのだ。
本好きを求めてうろうろと。

見た目はごく普通の本屋である。
きっと、あれ、こんなところに本屋あったっけ、と呟きながら中に入ってしまう。
入り口のドアは自動だし、中に店員もちゃんといて、小さくいらっしゃいませ、という。
それほど広くない店内の品揃えはなかなか充実していて、本好きであれば思わず手にとってしまうことは避けられない。
いや、夏目漱石の「こころ」のハードカバーを置いているなんて、憎いねえ。
手にとって読んでも結構ですよ、と店内の至る所に書いてあって、ご丁寧にソファや、椅子が散りばめられている。
そこで気づくべきだった。
読む環境が整いすぎている。本屋らしからぬ、つまり裏の意図がある、と。

ソファに体を預けて本を読んでいると、知らないうちに刺される。
刺される、と言っても全く痛くはない。
ごくごく細い針で、痛みを緩和させる成分をまず注入されるものだから、気づかない。
こうして毒を体に入れられる。
徐々に、眠たくなってくる。
ちょっとこのまま、寝てしまおうか、と思う。
だって、目の前にしばらく休憩しても結構です、とかいてある。
ここはあなたの家と思ってください。
なんて気の利いた本屋だろう。

目を閉じると、草原が広がる、白い馬が駆けている、風が吹いてきた。
毒が回ってきた証拠である。

そうして意識を失うと、周りに人がいないことを確認してからソファは、真ん中のところでぱかっと割れて、一気呵成に飲み込むという。

店内は何事もなかったかのように、ビル・エヴァンスの創造的なピアノソロが終わって、スコット・ラファロの野心的なベースソロへと移る。

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