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アランの幸福論 002

この話では、噛みきれなかったお肉や餅を喉につまらせてしまった状況を想像すると分かりやすいと思います。
そこで、僕はこんな経験をしたことを思い出しました。
それは、とあるお肉が喉の凹凸にからまって口からの呼吸が困難になってしまい、からまっていることから吐き出すことも出来ず、その為にたくさんの咳をしていたことから酸欠状態になり、最後には自分で喉に手を入れて、医者が内蔵を取り出すかのような絵面で処理をしたんです。
その時の呼吸はどうしていたのか。それは発想の転換だったんです。

口呼吸が厳しい。なら、鼻から息をしたらいい。
その時、気道が少し狭まっていながらも、鼻からの呼吸は上手くいきました。そして同時に、確かに力を抜いていたんです。そのことを思い出しました。

要は、たった1つの対処法にこだわらないことも重要だという出来事でもあったという話です。

不安ごとは吐き出す。
なにも人に言うだけではなく、SNSや日記や手帳に書き込んだりという方法もあるんですね、なんだか当たり前のことを言ってしまいましたm(_ _)m

ここで少し思ったのが、不安を「どこに吐き出すか」だけじゃなく「どう吐き出すか」も重要なのではないかというもので。
ただ『これが不安だ』と吐き出すのではなく。
『こういう経緯でこの出来ごとが起きたから、自分はこう思ってしまって不安になった』
と詳細に解像度の高い吐き出し方をすると、詳細に吐き出すほど有効なのではないかと考えつきました。

機会があると試してみたらいいですね

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