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私らしくってなんだろう(役者への夢)

 ずっと私は40歳で死ぬと思っていた。
 そこまで生きれば十分だと。
 だから、そのように生きてきた。自我など持たず、子供の時は『子供らしく』大人になったら『大人らしく』と。

 小学生の時は『小学生らしく』木登りドッジボール一輪車。中学生の時は『中学生らしく』漫画にお絵描き、放課後は友達とおしゃべり。高校になったら『高校生らしく』部活と恋愛。都度勉強も励んだ。
  高校卒業の時にずっと付き合っていた先輩と結婚。そして出産。
 産む直前に一言 「怖い」 と零した以外、『母親らしく』もきちんとこなしてきた。

 ずっと私は40歳で死ぬと思っていた。
 だから、子供が成人した時に、もうこれで役目は終わったと、自殺をした。

 少し計算が甘くて、私は家族に発見され、救急車を呼ばれて今こうして生きている。
 1月から5月まで、日数で言うと96日間の入院を経て私は日常に戻った。
 入院中は“虚無“以外何も無く、ただずっとどうしてあの時死なせてくれかったのか、と、助けてくれてありがとうという家族への感謝とを行き来していた。
 退院直後は『死を乗り越えて家族に感謝しながら過ごす人らしく』生きた。
 雄叫びのような希死念慮を枕に隠して。

 私はこれからどう生きればいいのか分からなくて、漠然と人と会った。今までの友人は入院中に全て切れていた。そもそも、死ぬと決めていたから昔から友人は極少数しかいなかった。だから、新しく友人を作り、大阪や東京へ行った。
 若くて活力に溢れていて、でも沢山の苦しみを乗り越えてきた子達。それを創作する力に変え、一歩一歩踏み締めるように、でも、へらりと、笑って生きていた。

 そうして私も、へらりと、笑って言った。

「私、役者になろうかな」

 子供を産むと決めた時、捨てた夢だった。『普通の家庭らしく』生きるにはいらない夢だと。
 私は今まで2つの夢しか持った事は無かった。役者と死ぬこと。2つだけ。
 
 それまでは、ずっと過去の私が「お前の夢は死ぬことだろう。早く死ね」と、語りかけてきていた。私もその過去の私を大事にしていた。
 でも、役者の夢を口にした後から少しずつ「そうか、それがお前の夢か。死ぬことではないのだな」と、語りかけてくるようになった。

 今の私が過去の私を認めてあげなければ生きてはいけないし、過去の私が今の私を許さなければ生きてはいけない。だからずっと生きている事が苦しかった。死がなければ、認める事も許される事もないから。死ななければ生きていけないという矛盾が、私を苦しめた。
 でも今は、2つの私の間に『役者の夢』がある。
 それはとても強固に、過去から今へと私を繋いだ。

 生まれてから18年。母親になって18年。そしてこれからの18年は役者を目指して生きる。

 なんだっていいんだ。笑われても。私は、生きている。

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