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燃料補給のような食事(石田徹也の絵)

   (絵シリーズです)


まず、こちらの静岡県美術館のアーカイブスをご覧ください。

この絵も面白いです。
風刺画でしょうか。
食事ではなく、給餌、給油みたいな現代社会の食事風景。
1996年の絵とのこと。

セルフのガソリンスタンドをまだあまり見かけないころだったから、こんな絵になってしまったのかもしれません。

今の時代の変化は、石田の想定をはるかに越えている気がします。

○店員が3人もいる。→人件費が無駄
○食事は視覚や食感も楽しむものなので、未来であっても食堂は、流動食みたいなことには多分ならない。

とか突っ込まれそうです。

状況設定は無理がありそう。

けれど、この絵に引き込まれてしまうのは事実です。

店員もサラリーマンも、楽しんでいる様子は皆無で、疎外された状況だけがみて取れます。いわゆる「人間疎外」ってやつですね。

通常、ファストフード店やファミレスでは、調理の様子を見ることはありませんが、町中華や餃子の王将では、厨房の中華鍋さばきや餃子の湯気など、活気に満ちた風景がみられます。

調理人さんや店員さんが仕事を楽しんでいるのかどうか、本心は決してわからないですが、行為に熱中したり、客との雑談などがあれば、疎外まではいかないのではないかと想像します。

回転寿司店や、牛丼店の話になります。コロナ渦の影響も大きいでしょうが、自分で端末をいじり注文し、出来たものを取りに行き、食べ終わったら返却するというような、ほとんど店の人と接触しないようなセルフ形態の飲食店が増えてきたような気がします。

感染症上の問題と、人件費削減の課題をクリアできるやり方なのでしょうが、
やはりディストピア感がどうしても拭えないのです。

石田の描く絵の世界観にはディストピア感が半端無いのですが、人が沢山居るところに救いをみてとれます。

たぶん、人さえいれば、雑談やコミニュケーションがとれるからなのです。
「仕事面白いですか?」
「なんか、厨房がガソリンスタンドみたいですよね」
「どうやって流動食作っているんですか?」

独房的な食事や、無人化されたり、店員と客との接点までシャットアウトする「お店」は、もう、自動販売機なのかもしれません。

石田が書いた、「燃料補給のような食事」については、そんなことを考えさせてくれる絵でした。

いつかホンモノの石田の絵をみた後に、静岡になるのかわかりませんが、町中華で食事をして、感想をnoteに書いてみたいと思いを新たにしています。









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