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【顧客は突然いなくなる番外編】

私は、元々小学6年生からバイトをしていました。うちが貧乏だったのもあるのですが。新聞配達、飲食店、ラーメン屋としてきてから、もう飲食店に就職しようかなと思っていました。たまたま、コンピュータの専門学校にいたことで、卒業ぎりぎりに就職が決まりました。入社した時に初めての御堂筋線、こんなにぎゅうぎゅうな地下鉄無理じゃないかって思いましたが、1か月通勤した後に福岡転勤、すぐに戻ってきました。そこで劣等感を感じながら仕事をしていました。学歴、年齢など常に一番下でした。そこから這い上がるために何か一番になろうと、MS-DOSを勉強しました。ディスクのフォーマット内容やOSの中身、NEC・FUJITSU、IBMのパソコンのデバイスドライバーの習得。TCP/IPの理解など、本当に大変でした。それだけ、上との知識や経験の差がありました。正確に言うと月400時間以上は働いていました。その結果、知識は増え、MS-DOSでのマルチタスクの業務システムを作ることができました。福岡営業所で営業もし始めていき、名古屋のソフト会社や富士通、IBM、NEC、東芝など、営業しに行き、開発の仕事を取りに行きました。何か会社と自分との将来のギャップを感じてきて、会社の辞めることにしました。27歳の時でした。パッケージソフトを売りたい、作りたいという気持ちが出てきて、独立しました。最初は開発案件の仕事ばかりしていましたが、仕事が減り新しく開拓をしないといけなくなりました。さてどうするのか?悩んだ末、飛び込み営業からスタートしました。でも、どうしていいのか全く分からなくて、飛び込んだ企業のドアの前に10分くらい立っていてお客様から「何しているの」って入れてもらいました。まったくダメな営業でした。考えました。とにかくどうしたらいいのかを考えました。営業も下手だったので、誰か売れる営業と一緒に動くことが私のできることだと思い、当時展示会に行くようにして、富士通系のベンダーとか、東芝系のベンダーとかの営業と仲良くなるように営業をしました。すると少しづつ仕事ができるようになり、他社のパッケージソフトを販売していました。そこで考えて、受注した金額のなかで、徹夜で販売管理ソフトを作成して、自社ソフトを作りました。そして、少し安定的に仕事が入るようになりました。97年にデータベースマーケティング。ONE-TO-ONEマーケティングなど、顧客管理・分析の分野に興味を持つようになりました。そこで2000年問題です。

1)    2000年問題

YYMMDDとの持ち方で、991231から000101になることで不具合が起こると言われて、98年から99年夏までには仕事がたくさんきて、15名くらいのスタッフで開発の仕事をしていました。非常にもうかりました。しかし、99年の夏から仕事が減り、年末には全くなくなりました。しかも、退社するスタッフがディスク整理とサーバーディスクをフォーマットしていました。てんやわんやで復旧したりして、2000年を迎えましたが全く仕事がありません。でも、スタッフはいます。ここで考えました。いろんなことを考えました。未来のために顧客分析ソフトのリニューアルを行い、パッケージを展開することに経営のかじを切りました。そう絞り.comの始まりです。展示会によく行っていた私はそれから展示会に出展ができないかを模索しました。スタートは富士通のパートナーのブースに参加させていただきました。それから、展示会やセミナー活動の始まりです。しかし、資金繰りは最悪で、リストラをして何とか乗り切りました。2001年には倒産可能性のリストにも乗りました。

2)    アルマーニの存在

2002年問い合わせがきました。「アルマーニですが、ホームページの絞り.comをどこかで見れませんか?」私は断りました。アルマーニとか知りませんでした。しかも東京なんて行く費用なんかないと。スタッフからバカにされ、この時思い切って東京出張に行き、富士通のパートナーの企業でデモを行い、受注をしました。それからアルマーニへの導入をネタにセミナーや展示会を続けて、投資家への挑戦をすることとなりました。私は横浜にあるデータバンクの故難波社長に投資家が入ったとの情報を聞いて、いろいろ教えてもらい、うちもチャレンジすることになりました。

3)    投資家との出会い

展示会やセミナーを続けていた時に、福岡でベンチャーの挑戦できる会があると教えてもらいすぐに参加しました。FVM(福岡ベンチャーマーケット)・九州ニュービジネス協議会に毎年出るようになり、人脈も増えてきたある日、投資家から連絡がありました。「あなたのビジネスに投資をしたい」スタッフと相談をして、上場チャレンジに入りました。結果、ダメでしたが、ここで私が勘違いの始まりです。投資家の方と一緒に取締役会議、拠点の増設、営業の増員など、積極的に行ってきました。私もレベルが低かったと思います。一番は組織作りです。どうしたらいいのか全く分かりませんでした。セミナーや勉強会などは得意なのに組織作りは全く下手です。それで企業買収をしました。それがKICS(POS会社)です。事業自身は元のメンバーに行ってもらい、私は報告を聞くというスタイルです。本来なら私が事業を引っ張ることをしていればと後悔をします。いまさら言ってもしょうがないことなので、POSという部署と絞りという部署に分かれて事業展開を行いました。絞りはTERAOKAグループや東芝TECさんが販売していただくことになり、パッケージは売れていきました。でも後から思うとこれも人を育ててなかったお反省しています。私自身が全国にベンダー同行を行い、納品することまで私が行ってきました。それで私はリーダーを他社から連れてくることにしました。これも失敗することになることとは・・・。

4)    リーダーとは

いろんな会社からリーダーを連れてきて、マネージメントを行ってもらいました。しかし、なかなか売上がつながっていきません。ミーティング内容を見ていて注意すればよかったし、私がいることがやりにくいのかとか、いろいろ考えるようになり、最後に連れてくる人間にすべてを任せていこう。

私は離れてみることにし、取締役会議での報告と指示に変えました。私が都城に出張し、CRM実体験をし、ビジネスモデルを作ることを選択しました。1:5の法則、5:25の法則、3セットの法則など、本当にそうなんだと実験は成功しました。私は今後確実にこれをスタッフで実行できることで、わが社は発展すると思って福岡に戻った時に事件は起こりました。最初はサーバートラブルの修復でしたが、ある日「スタッフが全員いなくなる」この内容は、今は書けませんが、いつか時間があれば書いてみます。今は想像しておいてください。突然ある日、一日150本の電話がなりました。何のことか全くわからずに、2か月間死にもの狂いで対応をして、やっとスタッフが増えてきました。半年で約10名になり、仕事をまずはこなすことを中心に行い、それからお客様をまずということをスタッフに徹底しました。というもの、私が一人で行っていた対応の時の電話内容は、ほぼクレームでした。よっぽどひどいコールセンターだったのだと思いました。これが今ではお客様から直接携帯で、すごいよ、よくやってもらっていると言われています。2023年からCRMとSFAを勉強させるようにして、徐々にスタッフへ理解をしてもらえることになりました。リーダーというのは、決断と実行だとつくづく思います。決断というのは責任も取れないと意味がありません。実行もスピード持ってやらないといけません。2021年10月からスタッフをリセットしてから、私も会社も生まれ変わりました。すべて私への報告と修正を指示し、実行していなければ指導することを行っています。そして、5年後10年後にこうなるとイメージを想像させることができるように、展示会にも参加したり、ZOOMでも勉強会をしたり、朝礼での私の考え方を伝えたりして、前に遠慮していたことを、もうしないことにしました。できない人はできるところへ、不得意なものは得意な方法で行うことを指示したりして、体制を作ってきています。こんなちっぽけな会社はまだリーダーは代表そのものでいいということです。投資家の意見も聞かないほうがいいとも思いました。

5)    私の考えるCRM

私は、営業の指示として、SFAでの日報ではなく、日報からアドバイスができるもの、そして顧客関係度が低くならない管理を行うこと、そして、分析を行うことだと思います。しかし、中小のお店は、そんなことができるお店はありません。だから私たちが必要なのだと思います。私たちは中小のお店のCRM支援部にならないといけません。そのためにも事例です。試して試してその店にあったCRMを作ってあげないといけません。どうやったらそのお店にお客様が足を向けてくれるのか?どうしたらリピータになるのか、どうしたら離反しないのか?などを一緒に考えれることができれば、私たちの会社の意味があるということです。また、新しい商品の提供もできれば、いいものを安く売ることも大事ですが、お客様の必要な価値のあるものを提供していきたいですね。だからloglogで商品を販売ができるようにしていきます。また、販売情報がすべての店から収集できれば、我々で分析をし、メーカーと交渉も行い、我々で商品供給もできるようにしたいです。詳しくはまた数年後。

6)    まとめ

顧客は突然いなくなるの特別編とは、この考えになるまでのいろんなことがあったことを報告しながら、CRMは絶対に感情的満足度と理性的満足度のアクションと感情的満足度と理性的満足度のアラート、アドバイスがしっかりロジックになっていないといけません。私はスタッフが突然いなくなりましたが、お店はお客様が突然いなくならないように管理していきたいと思います。今までのスタッフにも謝罪します。今後は反省をしてリーダーシップをとっていきます。一緒に事例を作っていきましょう。

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