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No. 10 英語教育とidentityについて⑨【ことばってどう学ぶの?ことばの社会的側面】

はじめに

十数年前、日本バスケットボール界のレジェンド・田臥勇太選手(知らない方はこちら)が何かの番組で語っていたことをふと思い出しています。田臥選手は神奈川県横浜市出身で、中学までは地元の学校に通っていましたが、高校では秋田県の名門・能代工業高校(当時)に進学しました。そこでの出来事について、「標準語で話していたらどこの言葉を話しているんだといわれ、秋田弁を話すようにといわれた」と語っていました。田臥選手が話していた標準語は、もちろん日本で生まれ育った人なら誰しも理解できるはずですが、なぜか田臥選手は話していたことばを矯正されてしまいました。これは一体、何の為だったのでしょうか?

さて、前回の投稿では、ことばの学習の社会的側面に注目しようといったことを述べました。その一つの考え方として、language socialization「言語社会化理論」を今回は紹介します。

Language Socialization 「言語社会化理論」とは

language socializationについて、Ishihara and Cohen (2022)では以下のようにまとめられています。ここでは"language learners"を、第一言語の学習も含む広い意味で考えてみてください。

"Language learners and children are considered novice community members who gradually learn the knowledge, orientations, and social practices of the community. As part of this socialization, novice members learn to use language through exposure to and participation in local practices" (p. 125)

言語学習者や子どもはコミュニティの新参者と考えられ、彼らは徐々にそのコミュニティにおいての知識や方向性、社会的実践を学ぶ。この社会化の一部として、彼らはそのコミュニティの実践の一つひとつに触れたり参加したりしながらことばを使うようになっていく

このように、人々はコミュニティに参加をしながらことばを身につけていき、そのような社会化の過程でそのコミュニティ内でより中心的な役割を担っていくのだとIshihara and Cohen (2022)は述べています。こうやって人々はコミュニティ内でのidentityを確立していくのです。

これはみなさんも経験のあることではないでしょうか?このlanguage socializationから見ると、いろいろなことば学習に説明がつきます。以下の例を見てみましょう。

田臥選手の例

冒頭の田臥選手が能代高校で秋田弁を話すようにいわれた出来事の理由は、「彼が今いるコミュニティは秋田の名門・能代工業高校バスケ部なんだ、ということを認識させるためだった」ということだったといえると思います。そして実際、彼はバスケ能力はもちろんのことですが、秋田弁を含めてこのチームでの振る舞いを身につけていきながら、チームの中心プレイヤーという確固たるアイデンティティを獲得していったのです。

アルバイト・職場の例

アルバイト経験がある人ならわかるかと思いますが、そこでの独特な言葉をまず最初に学んだのではないかと思います。

たとえば、「おはようございます」という挨拶。学校時代に「朝の挨拶」として学んだ「おはようございます」は、アルバイトの現場ではよく「初めて会った時の挨拶」として利用されています。このように、同じ言葉でもコミュニティによって異なる意味を持っていたり、異なる役割を果たすことがあります。もし一人だけ「こんにちは」「こんばんは」と挨拶していたら、それだけで嫌われるようなことはないにせよ、なんとなく「よそ者」感が出てしまうかもしれません。

ほかには、「お疲れ様」という言葉ですが、これも「挨拶」として機能する職場が多いのではないでしょうか。朝も昼も帰り際もメールの一文目にも「お疲れ様です」が使われることがあります。これも本来の意味とは違っていそうですが、この一言で会話を円滑に始めたり、進めたり、終わらせたりすることができます。

もちろん、その職場の業務をこなす上で必要になる具体的な言葉(略語など)もlanguage socializationにおいて重要です。

こういったことを学習しながらそのコミュニティへの参加・参画を増やしていき、identityを確立していくのです。「ことばの学習」と「参加」はコインの裏表のようなもので、切ってもきれない関係ですね。

Second Language Socialization (SLS: 第二言語社会化)

基本的には母語での言語社会化と変わりませんが、Duff (2012)の定義をまずは見てみましょう。

"a process by which non-native speakers of a language, or people returning to a language they may have once understood or spoken but have since lost proficiency in, seek competence in the language and, typically, membership and the ability to participate in the practices of communities in which that language is spoken" (p. 564)

(secong language socializationとは、) ノンネイティブの人々や、元々は理解していたり話していた言語で今はその能力を失った人々が、その言語の能力やメンバーシップ、その言語が話されているコミュニティの実践に参加する能力を得ようとするプロセスである

ここでのキーワードは「メンバーシップ」でしょうか。第二言語を学ぶことで、第二言語コミュニティのメンバーシップを手に入れられるわけですね「ビリギャル」でお馴染みの小林さやかさんは、以下のようにように述べていました。


「世界が広がる」というのは、「新たなコミュニティを手にする」という意味でもあるかもしれませんね!

母語のケースと似ているところもありますが、他の第二言語学習(ここでは英語学習)の実際の場面での例を見てみましょう。

日本の某英語教室の例

私が働いていた子ども向けの英語教室(教室といっても遊んで学ぶタイプ)では、日本語を話すことを禁止し、そこにきたら英語しか話してはいけないというルールがありました。子どもたちは先生が考えたアクティビティに参加しながら、また友達と遊びながら英語を学んでいました。4月には新しい子どもが入ってくるのですが、その子たちもまさに「習うより慣れろ」といった形で言葉を覚え、その既存のグループに混ざっていきました。4月には「ママ、ママ...」といった感じで帰りたがっていた子も、数ヶ月の間にグループの中でも目立つ存在になっていたりしました。

そこでの言葉の習得のわかりやすい例をあげると、子どもたちはMay I ~?という表現を覚えていました。もちろん他の場面にも応用がきくような子どもは稀ですが、特定の場面・文脈においてはその表現を使って自分のしたいことを表せるようになっていました。このような一つひとつの言葉の学習が、彼らのメンバーシップにつながっているのだと感じました。

アメリカに住む日本人女性の例

先日SNSで聞いたお話を例にあげさせていただきます。その方はご主人がアメリカ人のようで、そのご主人に言われた言葉がとても示唆に富んでいたので紹介します。

「君(その日本人女性)はアメリカにいると、日本にいるときより社交的じゃないよね」

この言葉を聞いて、私のnoteの読者の方にも「私と同じ」「私は逆に、アメリカにいる時の方が楽だし社交的かも」といった感想を抱かれるかもしれませんね。

この日本人女性によると、英語力の問題と文化への適応の両方の問題から、なかなか社交的になれないのだということでした。

これはまさに、second language socializationの、resistance「抵抗」を表す例だと思います。もちろん英語力があればもっと社交的になれるという意味ではsecond language socializationの過程なのですが、文化的理由から社交的になれないのを仕方ないと感じているところを見ると、この方はそのコミュニティに馴染むことを必ずしも目指していないということが感じられると思います。

このように、second language socializationの過程は、必ずしも「右肩上がり」にコミュニティに溶け込んでいくばかりではありません。抵抗感があったり、複雑な気持ち (アンビバレンス)を抱いたりといろいろあるのです。

おわりに:language socialization「言語社会化」理論を学ぶと何がいいのか

前回の投稿では、ことばを学ぶのは「英語学習ロボット」ではなく人間なので、より社会的なアプローチや見方が必要になるだろうと書きました。それを踏まえて、今回の投稿ではlanguage socialization「言語社会化」理論を紹介しました。

この理論を使うと、身の回りのことば学習やその使用が違った形で見えてくるかと思います。もちろん英語学習(第二言語学習)にも当てはまっていて、今回は日本の英語教室とアメリカに住む日本人女性の例を紹介しました。人間はことばを通じてコミュニティに参加・参画しているので、与えられた言葉のインプットをただアウトプットしているわけではなく、時には抵抗感があったり、そのコミュニティの文化になじむことを望まないというケースもあるということが、このlanguage socializationからわかるのです。そして、そのような抵抗がある場合には、ことばの学習がはばまれる(もしくは自分からやめてしまう)といったことにつながるのです。

このlanguage socializationを知ると何がいいのか、学習者と教育者の目線に分けて以下に記してみます。

英語学習者のみなさま

前回の投稿でも書いたように、社会的存在である私たちは英語を学ぶことで何か社会的な価値を手にしようとしています。その一つが今回紹介したコミュニティの「メンバーシップ」だと思います。たとえば留学したときに、頑張って英語を話すように努力をしていたら、それだけであなたはそのコミュニティへの「参加券」を手に入れることができます。逆に日本人とばかりつるんでいたり、英語を話さない姿勢を見せ続けていると、それはメンバーシップを放棄したとみなされるということです。英語を話さないと英語力がアップしないという単純な理由よりも、この参加券の剥奪こそが何よりも問題なのです。

逆に「留学に行ったら日本人と関わらない」と肩肘を張ってしまう人がいますが、これもまたもったいないです。私自身のケースでいうと、私個人では多くの人を惹きつけられる力がありませんでしたが、私の日本人の友人の「面白いやつ」と一緒にいることで、英語コミュニティへの参加券を得ることができ、そこから友達を作ったりして英語力を上げることができました。繰り返しますが、大切なのは「日本語を話してはいけない/英語を話さないといけない」ということではなく、「コミュニティのメンバーシップのために英語を使う」という姿勢です。これを念頭に置き、留学ではいろんなところに「参加」するようにしてみてください!

英語教育者のみなさま

「英語の授業は英語で」というスローガンが叫ばれてしばらく経ちますが、その本当の意味は「教室に英語のコミュニティを形成すること」だということが、このlanguage socializationからおわかりいただけたと思います。このコミュニティ形成において、教員が英語を話すのはとても大切なのです。「教員が英語を話すことで生徒のインプットが増える」というのもひとつの解ですが、英語が公用語のコミュニティを形成し、そこの生徒を参加させることで英語力を身につけさせるというのが、より広い意味での教員の英語使用の価値なのだと思います。だからこそ、「自分は英語が下手だから」と億劫になりすぎず、コミュニティ形成・維持のために話すんだと思って英語で授業をしてほしいと思います。それに加えて、「英語の音楽を流す」というのもコミュニティ形成において役に立つでしょう。こうやって考えると、今まで見てきた/してきた授業の活動が違って見えてくるかもしれません。

また、「生徒が日本語を話してしまう」というのは、ある意味そのコミュニティに対しての「抵抗」だと言えると思います。それを示したときには、それもひとつの「参加」だとして受け止めてあげてほしいと思います。その上で、コミュニティ運営のためにどこまで許容するのか、どうしてあげたらいいのかと考えてみてください。「日本語を話したらダメ!」とルールを強制し、勝手にメンバーシップを剥奪しないようにしましょう。生徒が参加しやすい環境が何かを考え、指導をしていきましょう!

そして、教室というコミュニティの「リーダー」ともいえる私たちがどのようなコミュニティを形成するかはとても大事です。そのコミュニティでsocializeするために使用することばを「何」にするのかはとても大切な問いです。また、言語使用に関するルールでそのコミュニティのメンバーシップを剥奪することがいかに重大な意味を持つことなのか、指導者は理解しておく必要があります。この2点についてはいずれじっくりと書きたいと思います!

参考文献

Duff, P. (2012). Second language socialization. In A. Duranti, E. Ochs & B. Schieffelin (Eds.), Handbook of language socialization (pp. 564-586). Wiley-Blackwell.

Ishihara, N. & Cohen, A. D. (2022). Teaching and learning pragmatics: Where language and culture meet. (2nd ed.). Routledge.

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