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日本人営業マンの奮闘 in ヨーロッパ Part2

前回記事

海外で働きたいと思ったきっかけ

今回は、私がなぜ私が海外で働きたいと思ったのか、そのきっかけを中心にお話したいと思う。

結論から言うと、社会人3年目に味わった強烈な挫折、劣等感が発端となっている。

人生初の海外出張での挫折

社会人になって初めて入社した専門商社で、入社3年目に人生初の海外出張に行くことになった。この会社は、なかなかスパルタで、ほぼ新人の私に一人で出張へ行ってこいと命じてくれる、素晴らしい会社であった。

それまでの海外経験といえば、せいぜい、高校の修学旅行と大学の卒業旅行でアジアに行った程度で、正直不安もあった。
しかし、周りの先輩からの、「行けばなんとかなる」や「結局、人間同士だからハートで通じ合える」などの、無責任かつ、温かいアドバイスもあり、なんとかなりそうだという気持ちになったのを覚えている。

この出張のミッションは、顧客である日系の大手電機メーカーが採用を検討している信号処理ソフトウェアの会社がオーストリアにあり、そこのオフィスに訪問して、主に、 

1.技術的な仕様について議論する
2. ライセンス費用など契約について条件を詰める 

というものであった。
1.については、エンジニアである私の顧客が主にソフトウェアメーカーのエンジニアと打ち合わせるので、私のミッションは2.であった。

打ち合わせ初日、和やかな雰囲気で挨拶を交わし、私も、持ち前のお調子者ぶりを発揮し、みんなで写真を撮ったりしてはしゃいでいた。
ランチも終わり、本格的なミーティングが始まった。
ここで、上記1を議論するチームと2を議論するチームに分かれることになった。私は、オーストリアの会社の女性社長と二人で契約について会議をするため、個室へと移動した。
ここからが、地獄の始まりであった。

言ってることが分からない、言いたいことが伝わらない

まずは、自分の会社の紹介を行う。ここは問題ない。
そこから、社長が早口の英語で契約内容について捲し立てる。
正直、何を言っているのかほとんど理解ができない。
ここで、私は大きなミスをする。よく日本人に有りがちなミスだ。
それは、

ニコニコ頷いて、わかっているフリをする

である。これが、実際、6〜7割は理解できていて、やるのであればいいが、理解度がほぼゼロに近いにもかかわらず、これをやってしまったため、
その後の議論が全く噛み合わない。
最初は、笑顔を浮かべていた社長も、徐々に険しい表情に変わってくる。特に、長々と長文を喋った後に、「How do you think ?」と質問を投げられた時の、死ぬほど気まずい沈黙は、思い出すだけでも冷や汗がでる。
目の前の机がグニャッと歪んで、グルグルと回転するような錯覚に襲われた。何を返したのかほとんど記憶にないが、あー、とか、えー、とか、ほとんどが意味のない文章を羅列して、議論はおろか、会話にすらなっていなかったのではないか。
その日のディナーは、この会社が主催で顧客と私をもてなしてくれたが、正直、食事の味がほとんどせず、全く楽しくなかった記憶がある。

呆れる相手の社長のイメージ

何か持ち帰らなくては

翌日も、2チームに分かれての打ち合わせが予定されていたため、私は急遽本社の上司に連絡した。

「フォローのために電話会議で参加してもらえませんか?」

当時はWeb会議などもなく、電話で繋ぐしかなかったが、このSOSに対して、上司の返答はというと、

「それじゃ、君が出張した意味がないじゃないか?あはは。まぁ、なんとかなるよ。不明点は宿題として持って帰ったらいいから。」

という、大変軽やかなものであった。
対照的に、私の心は重く重く沈んでいった。

翌日、半ば呆れ顔の女性社長と再び向かい合った。

私は、机にガラケーを録音状態で置き、彼女に頭を下げた。

「プリーズ、トークアバウト セイム トピック イェスタディ」

昨日と同じ話をもう一度したい、とお願いしたのだ。私の作戦は、会話の全てを録音し、ホテルで書き起こすというものだ。
一度聞いて分からなくとも、何度も聞けばわかるかもしれないからだ。

結局、今回も大半は理解できなかったが、録音した内容をいち早くチェックするため、ディナーは断り、ホテルに籠り、ひたすらワードにディクテーションしていった。
途中、録音されている、私の間の抜けた「オッケー、アハーン」という声を聞くたびに、情けないと言うか、惨めと言うか、なんとも言えない気持ちになった。

とりあえず、本社への報告として体裁を整え、持ち帰れるものがゼロ、と言う事態は回避したものの、ここからどう進めるか?今後のプロジェクトの進捗に関して、自分以外に責任を持つものがいないという重圧で吐き気がした。

契約不成立

日本へ帰国後、社内の全体会議で報告をすることになった私は、商談内容の理解不足を憶測と想像で補完した報告書を読み上げた。
当然、各方面からツッコミが入るが、ほとんど回答できなかった。
さすがにマズイ、と思った上司が、オーストリアと電話会議をしようと提案してくれ、私と上司、先輩も同席の上で会議を行った。

結果は、散々であった。私の報告していた内容と、先方の理解には大きな乖離があり、結局は、先方から上司へ3度目の同じ話をすることになったのだ。
そして、最後に先方が上司へ言った言葉が忘れられない。

「なぜ、彼のような人間にこの仕事を任せたのだ?これではオタクの会社とは信頼関係など築けない」
おそらく、私が英語を理解出来ない前提で、上司に本音を伝えたのだろう。(しかし、皮肉なことに、自分の悪口はちゃんと聞き取れてしまった)

後日談として、本プロジェクトは、技術面では問題なく顧客の要求仕様を満たしていたので、商流を別の商社に任せるということで、当社はプロジェクトから外された。間違いなく、私の力不足が招いた結果である。

以後、その会社で私が海外のプロジェクトに関与する機会はなくなった。社内でも同情論はあったものの、私自身も、しばらくの間、再チャレンジしたいという戦意を失ってしまっていたのも事実である。

何が悪かったのか?

以上の体験から、海外とのビジネスから遠ざかってしまった私であるが、徐々に自分を見つめ直すこととなる。
私は、こう考えるようになった。

「なぜ、あの時上手くいかなかったのか?自分に何が足りなかったのか?」

大きな理由の一つは、言わずもがな、英語力不足である。
それも、話す能力、聞く能力が大きく不足していたと感じた。
当時の自分は、受験英語はそこそこ出来ることと、洋楽が好きだったため、発音だけは人並み以上であったことから、なんとなく

「自分の英語は平均以上」

と全く根拠のない自負を持っていた気がする。

しかし、ビジネスの現場では、正しい文法や綺麗な発音よりも

「相手のことを理解し、それに正しく答える。また、相手に自分の意見を理解してもらえる」

ことが出来る英語力が最も偉いのである。

もう一つ、英語以上に大きな理由があると思っている。
それは、「準備不足」である。
上記の例でいくと、私は事前の準備を怠っていた。というより、本来準備すべきことを間違っていた。
それこそ、英語については、一般的なビジネス英語表現集のような本を買って行きの機内で熟読するなどの「準備らしき」ことをしていたが、最も肝心なのは、

  • 自分は何をしに、どういった結果を持ち帰るために行くのか?

  • そのために、事前にストーリーを描いて、交渉のポイントを明確化する

  • 英語は、上記内容を交渉するのに必要な単語を中心に準備する

ということだった。

仕事には常にゴールがある。それを常に意識して、しっかりと準備をすることが最も重要なことである。至極当たり前のようだが、意外にこの目的意識が欠如した海外出張をしている人をよく見かける。

「準備力」と「英語力」を磨こう!!

以上の二つについて、遅ればせながらも運良く気付けた私は、そこからリベンジに燃えることになる。
つまり、もう一度、海外でビジネスの現場に出てみたい、と思い始めたのである。
そのための準備を着々と進めることになる。
語学力向上と転職活動である。

次回へつづく

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