見出し画像

龍馬くじら飯 episode1

【冒頭あらすじ】
坂本龍馬の生涯。
そのところどころで、クジラ飯を食っていた。
土佐のモンはクジラ好きじゃき。おお、長州も薩摩も、京の都にもクジラ飯がめちゃんこあるがか。こりゃあ、たまらん。
幕末維新とクジラ飯。
腹を空かせて、さあ、行こうかい!

第一話 土佐 1852
 
 土佐の封建社会は厳しい。遡れば、関ヶ原の功で山内家が高知に入り、長宗我部の旧臣が虐げられた歴史から始まる。こういう格差は、生まれついてのもので、生まれた家は引っ繰り返すことも儘ならぬ。ゆえに土佐の内側には、見下される者の憤懣が年輪の如く蓄積されて起爆の機を待ちながら……歳月は流れた。
「ふた月近くも御取調べ、そろそろうんざりやろ」
「はい」
 煤けた二五歳の若者と、二八歳の役人風の男。万次郎と河田篤太郎。二人は高知の城下、港近くの小さな飯屋で、手早く作れる飯を催促した。
「鯨飯なら、ざんじ(すぐに)でも出来る」
「じゃあ、それを二つくれ」
「へえ」
 港と云っても、たかが土佐の程度では、蒸気で航海する船すら接舷できぬ程度。そういう大きな、海の向こうの湊を、万次郎は知っていた。彼は、二年も前までメリケンという国にいたのだ。ホノルルからアドベンチャー号で薩摩に上陸したのは昨年のこと。藩主・島津斉彬は西洋技術に熱心な殿様ゆえ、漂流先のメリケンを知りたがり厚遇であったが、その後の長崎奉行所は厳しい対応で、罪もないのに罪人気分にさせられた。放免されて土佐に戻ると、これまた詰問。ぐったりとした万次郎であるが、取り調べ役人の河田篤太郎だけは同情的だった。いまは自宅に引き取って、取り調べのときに同伴してくれる。
「御役人様はどいて、こがに親切にして下さるがか」
 万次郎の疑問は当然だ。この答えは、河田篤太郎の胸の内にずっと用意されていたが、まだ、口には出せなかった。
「いつか、教える」
 不愛想に、河田篤太郎は呟いた。
「お待ちどう様や」
 労働者の飯である、大きい丼の鯨飯。粟飯に混ざるのは鯨の皮の部位。身のいい所は城や上士などに献上され、残った身を猟師が分け合い、僅かに庶民が口にする。ここは港の飯屋だから、皮が混ぜられているのだ。これでも上等なほどといえよう。
「メリケンの人は、鯨を食わん。勿体ないことをしゆー」
 万次郎は、ふと、呟いた。このことは、河田篤太郎も取り調べで聴いている。
「そればあの身があったら、大勢の腹も膨れるろうにな」
「はい」
「先ずは自分の腹を膨らますことじゃ」
 河田篤太郎に促され、万次郎は鯨飯を口に運んだ。薩摩に着くまで一〇年近く、異国の飯を食ってきた万次郎である。箸で食う飯は、懐かしい。
「ああ見えてな、吉田東洋様はちゃんと物事を承知しちゅーがじゃ。ひどいことも口にはするが、他の上士とは違う。聞かれたことは、ちゃんと答えてくれ」
「はい」
 河田篤太郎は吉田東洋に取り立てられ京に遊学したこともある。そのときに絵師・狩野永岳に師事したし、東洋も許した。郷士のなかでは悪く云う者も多いが、極めて開明で人を見る目のある人物だ。だから、万次郎の世話を河田篤太郎に任せた。この組み合わせさえ仕組まれた感がある。
(東洋様には、なにもかもお見通しながやろう)
 海禁日本の現状と、異国の発展ぶり。その落差について、凡庸な役人は疑問にすら思わぬことだろう。河田篤太郎は、その隔たりに大きな疑問を抱き、嘘と思い調べ尽くして、万次郎の言葉の一切が事実と理解した。その理解は吉田東洋の共有にもなる。人事の妙は、人を采配する者に必要なこと。その柔軟さが、悲しいかな、この土佐では極めて稀なる考えなのである。
「ああ、腹減ったき」
 頭のちりちりな、大柄の男が店に入ると、どっかと床板に腰を下ろした。
「うちに帰って食うたらえいやろう、礼儀が悪いぞ」
 ちょっとは小奇麗な男が、大男を窘めている。
「まるで、子供みたいやねや」
 つい、万次郎は呟いて、ハッと口を塞いだ。キッと睨んだ小奇麗な男は、役人同伴と気付いて会釈し、さっさと出て行った。云われた大男は、まるで他人事だ。
「鯨飯をたのむ、大盛りで」
 大男は、丼が来るまでの間に、一〇回は「腹減った」と、独り言を呟いていた。
「お待ちどう様や」
「おお、こりゃあ、美味そうでたまらん」
 まるで流し込むように、大盛りの丼は大男の腹に飲み込まれた。待つ間よりも、食っている間の方が短い。早食いとは、なんとも行儀の悪い事か。
「ここに置いていくき」
 ちゃりんちゃりんと、大男は銭を置いて行った。なんとも気忙しい男だろう。
「やはり、鯨は美味いねや」
 万次郎の方に大男は声を掛けた。とっさに、万次郎は顔をそむけた。
「ありゃあ、才谷屋の馬鹿息子やねや。あんなのでも、結構な腕前だと、評判や」
 河田篤太郎の呟きに、万次郎は耳を貸さなかった。興味はなかったし、関わり合いにもなりたくなかった。理由はないが、メリケンの男を思い出すようで、どことなく苦手だった。
 才谷屋の馬鹿息子、白札郷士の末っ子・坂本龍馬。
 翌年、日根野道場の紹介で江戸の千葉定吉道場へと剣術修業が許されるのだから、たしかに腕前は立派なものだった。
 万次郎の調書に私見を加え、河田篤太郎は吉田東洋を経由して山内容堂へ『漂巽紀畧』を提出。これが江戸に持ち込まれると、たちまち諸大名の間で話題になった。
 世、黒船に対する騒乱の渦中。
 この対応のため、メリケンの事情に詳しい人物が必要だった。『漂巽紀畧』をきっかけとして、万次郎が幕府直参として取り立てられることとなった。
「これやき、世の中とは面白い。そう思わんか」
 吉田東洋はそう云って、笑った。
 河田篤太郎、のちの河田小龍。墨雲洞なる私塾を設けて、あの大男、坂本龍馬と再会するのは、まだ先のことである。

#創作大賞2024 #漫画原作部門 

第2話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n077aa3d1728b 
第3話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n9cdc8d317b1d 
第4話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n308e69186d8b 
第5話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n42d6eb70b259 
第6話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n5733a8a0a4f3
最終話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/nb34335c4d905