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魔斬

あらすじ
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。
その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。
坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。
幕末。
深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。

アルファポリスにてシリーズ公開中
https://www.alphapolis.co.jp/novel/569322769/317817342



第1話 安政奇譚①
 
 墨壺のような漆黒の夜空は、手探りするほどに闇が濃く、その〈闇の奥〉を自在に徘徊することは、難儀というより他ない。
 大川畔の地蔵堂のなかで、一本の太い蝋燭が揺らめいた。
その仄かな灯りに照らし出された女は、経を唱え続ける大男に向かい、思い切って声を掛けた。
 幽霊が、出るのだと。
「そりゃあ、まあ……そいつは俺の領分ですがね。ところで、御内儀。俺が事は、いったい、どちらから聞いたのかね」
「……」
「まあ、いい。俺の噂を知って、こんな闇夜に、大川くんだりまで来てくださったんだ。当然、仕事料の噂も聞いただろうよ」
「え?」
「魔斬(まぎり)の仕事料は、どなたさんが払ってくださるんですかい。こちらも命懸けですからね、それなりの額になりますが」
「あの」
「御内儀さんが払うとでも?」
 大男は背を向けたまま、諭すように吐き捨てた。
「そんな……あたしは、長屋の衆を代表して来ただけで……」
 しどろもどろになるのも無理はない。
 大男のいう仕事料が、法外なのだ。
「だったら、辛抱なさい。どうせ危害はないのでしょう?それでも厭ならば、何処かの坊主にでも頼りなせえ」
「しかし」
「わざわざ湯島から、無駄足だったねえ」
「……」
 気の弱そうな女である。取りつく島のない大男の言葉に、がっくりと項垂れ、どうしようかと途方に暮れる様子であった。大男は大男で、それきり、口を利こうともしない。
 女は諦めて帰ろうと、腰を上げた。
 と、蝋燭がふっと掻き消えた。
 女は悲鳴を上げて、頭を抱えて蹲った。
 大男は振返ると、白木の鞘に収められた大太刀を左手で掴み、ゆっくりとした所作で立ち上がった。そして、堂の外の暗闇を、格子越しにじっと見つめた。
「御内儀、尾けられましたね」
「はっ?」
「亡霊って奴はね、自分の妨げになる者を、捨て置かない性分なんですよ」
 大太刀をゆっくりと抜き払いながら、大男は舌舐めずりした。女は腰が抜けたのか、動こうとはしない。
「まあ、遅かれ早かれこうなる運命だったのでしょうな。向こうから出向いて来たんだ、魔斬の仕事料は、今回に限り、おまけにしといてやりますよ」
 地蔵堂の格子扉を押し開くと、青白い顔の女が立っていた。その恨めしげな表情から、既にこの世の者ではないことが伺えた。
 大男は、この女の顔を知っていた。
「ほう、成仏出来なんだか」
 その場に似付かわしい陽気な声で、女に問い掛けた。
「成程、お前さんの土壇場は小塚原だったな。確か神田明神の近くに暮らしていたんだっけ。そういやあ、御内儀の住居は湯島、近いものなあ。それで、誰かしらに縋ろうと彷徨い出たのかい」
 大男は大太刀を翳した。
 一瞬、振り回すのも一苦労と思われたその大太刀が、目にも留まらぬ速さで一閃した。
 地の底から響き渡る悲鳴に、御内儀は頭を抱えて丸まった。
 やがて
「御内儀、済みましたよ。もう遅いから、早う家に戻りなさい」
 大男が背を叩いた。
「だ……駄目です」
「駄目?」
「……腰が抜けて……」
「仕様のない御方だ。どれ、家の傍まで送ってやろうか」
 大男は御内儀を肩に担ぎ上げ、片手に提灯を持ち、大太刀を腰帯へ落とし差しにして、土手沿いに足取り軽く歩いていった。
 御内儀の長屋は、湯島横丁にある。どこの町内にもある、貧乏だが気立てのよい、全うな人間の棲まう木賃長屋だ。その長屋の路地では、住まう者たちが、不安げに、御内儀の帰りを待ち侘びていた。
「あ、あんた」
 御内儀は大男の肩を叩いて、下ろしてくれと促した。地に足がつくと、御内儀は亭主と思しき浪人の傍らへ走り、先程の一件を興奮したように捲くし立てた。長屋の大家らしい老男がよろよろと歩み寄り
「この度のことは、何と申したら……」
と、何度も礼を述べた。
「礼はいらぬ」
「といわれても」
「それより、これだけの男が雁首(がんくび)揃えときながら、だらしがねえじゃねえか。こんな夜に、女一人だけで俺のような者のところへ差向けるとは、何事じゃ。恥ずかしくならねえのかい、ええ?」
 大男は大声で叱り飛ばすと、いま来た道を立ち去ろうとした。
 その捨て台詞が気に障ったのか
「てやんでえ、首斬り浅め」
と、浪人風の男が吐き捨てた。大男は一瞬立ち止まり、やがて、何事もなかったかのように歩き出して、夜の闇の中へと消えていった。

 大男は身の丈六尺(約一八〇㎝)。眼光鋭く焼香の臭いを纏い、編笠を深く被り顔を隠していた。昼は愛刀・備前長光を、夜は数代に渡り血を吸って妖刀と化した大太刀を身に帯び、江戸の闇を練り歩く。
 その名を、山田浅右衛門という。

第2話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n65e4da6c636f
第3話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/nef8b1e1def56
第4話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n5addf7f2c7ba
第5話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n9431fbc7d8a8
第6話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/nb9c3c8be2992
第7話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n721e91db3ad6
第8話 
https://note.com/gifted_macaw324/n/na3ab5eef84eb
最終話 https://note.com/gifted_macaw324/n/n2ebfab3d19b6

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