見出し画像

異形者たちの天下最終話-6

最終話-6 逢魔ヶ刻に傀儡は奏で、木偶が舞う

 江戸城の奥底で繰り広げられる政治的駆け引きは、広く世間に知られるところではない。武家の頂点に君臨する徳川家が盤石であることは、いや、公家も寺社も、何もかもを十羽一絡げにしてその下に跪くすべての者どもに知らしめることは、天下を滑る幕府にとって必要なことである。
 有り体に云えば、知られては困ることなのだ。
 しかし、その裏に隠された出来事の委細を、手に取るように周知している者もいる。それが埒外の者たちだ。傀儡もそうだし、庄司甚右衛門を始めとする風魔衆などがそうだ。彼らは闇の息づき、闇に消えゆく運命を持つ者たちである。
 それゆえ闇の世界の住人に、闇の事情は隠し仰せる筈などない。
 そして、その闇の奥底にある真実を、彼らは皆知っている。
 
 南光坊天海が、明智光秀ということを……。
 光秀家老の娘・お福が、その伝手で家康の傍に赴いたことを……。
 家光の実母が、お福なのだということを。
 その胤が……家康のものなのだということを……!
 
 体面上、秀忠の子とされた家光を将軍にすることが、最終的な天海の野心なのだ。天海の血縁である旧家老・斎藤内蔵助利三の娘・お福が生んだ家光は、引いては明智の血統にも繋がる。
 織田が地均しし、豊臣が土台を築き、徳川が上棟して……明智がすべてを掠め取る。本能寺でつい先走ったが、結果的には望んだ形で明智光秀が天下を握ることになる。
 日光東照宮の普請にあたり、葵紋の片隅にどさくさの桔梗紋を彩らせたのも、家康の名を借りた
「明智の天下」
を具現化するモニュメントと化すためである。
 天下を巡り、なんと浅ましい駆引きが為されたものだろう。
「半蔵、お前そのことも知らずに、家康に扱き使われてたんだな」
 庄司甚右衛門の言葉に、さぞや服部半蔵は驚愕しただろう。
 
 伊勢朝熊。
 松平忠輝は山と空の狭間で、のびのびとしていた。表立って訪れる者はないが、埒外の多くが彼を慕って会いに来る。屈託ない忠輝は、身分や歳に係わることなく彼らと接した。
「八郎殿」
 前触れもなく声が響いた。
「やあ、まだ生きていたのかい」
 忠輝は驚く風もなく涼しげに答えた。
「半蔵、いいときに来てくれた。私はこの伊勢でもお荷物らしい、何処かへまた流されるそうだよ。ひとつ処に落ち着かせて貰えないらしい」
 音もなく木の上から舞い降りた服部半蔵は、落ち着いた風を装いながらも苦悩を隠せない目尻の皺が増えた忠輝を見上げた。心の底から、哀れみが込み上げてならない。
「お前も随分老けたな」
 場違いに明るい忠輝の言葉は、寂しさを半蔵に見透かされた照れでもある。
「五六八姫様はいまでも妻ですと、斯様に申されました。どうぞお身体を大切にと」
「五六八には不憫な想いをさせた。舅殿にも申し訳ない。すべては私が至らぬ男だから……」
「世の中のすべてが欲にまみれていなければ、貴方こそ天下を統べるべき清らかな御方でした」
「無理さ」
 忠輝は言葉を探すように考えてから
「天下なんて、誰のものでもないし、私には興味がないもの」
 そういって笑った。
 そんな忠輝だからこそ、人は惹かれるのだ。欲の亡者は怖れるのだ。
「半蔵も歳だ。長くはないだろう?唯一、父(家康)が私にくれたものを聞いて行けよ」
 懐から取り出したのは、野風の笛と呼ばれる名物だ。信長愛用の品で、家康に下賜されたものだが、信長の名残を嫌って忠輝に下げ渡したのである。つまり忠輝は、笛ともども捨てられたというわけだ。
 しかしその奏でられる調べは、武威を奮い立たせ、清廉なる魂を揺さぶられる力強い音色であった。そう、この笛は陣中にあってこそ相応しい高潔なものであったかも知れない。
 ふと、半蔵は泪が溢れていることに気がついた。
 それは半世紀以上も戦さのなかで生きてきた漢だけが知っている
「敵味方の隔てなく命を削り合ってきた者たち」
との共感そのものであった。
 その美しき漢たちも、今や殆どが涅槃の彼方へ旅立ってしまった。死も畏れることなく、逍遙と、潔く逝ってしまった。笛の調べは想い出という走馬燈で、彼らと過ごした時間を瞬時に呼び起こしてしまったのである。
(八郎殿とも、たぶん今生の別れになる)
 そう思えるからこそ、その調べは、深くより深く、服部半蔵の胸の奥に刻み込まれていった。
 松平忠輝。
 伊勢朝熊より飛騨高山へ移されるが、領主がそれを嫌ったため、諏訪高島へと流されて、やがてこの地で没した。誰よりも徳川の権力者に嫌われた彼だが、以外にも九十二の長寿を保った。終生、徳川家から勘当が解かれることもなく、また、彼自身それを望まなかった。
 山と湖と大空のなかで、曇りなき眼で世の中を見据えながら、忠輝は何を思い余生を送ったのだろう。
 その答えは……彼のみ知る限りである。

#創作大賞2024 #漫画原作部門