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「悪代官様、御成りあそばせ」最終話

最終話 悪代官様、ふぉぉえばあ

「のう。その方、その方じゃ」
「はあ?」
 寡黙な与力が悪代官様に呼び止められたよ。
「その方は当家に伝えてどのくらいじゃ?」
「はぁ、たぶん、一〇年ほどかと」
「それでいて、ほんに冴えないのう」
「お互いさまに」
「アホウ。お前、何か取り柄はないんか?」
「はあ、むかし乗馬を、少々」
「馬にのるのは、今日日だれでもするわいな。もういい、下がれ」
「はぁ」
 今日の悪代官様、なんだか機嫌が悪そうですね。
 それもそのはず、そろそろ代官の任期が終わってしまうんです。
「儂は江戸で一五年過ごしたよ。江戸へ出てくるまでは、そりゃあ、毎日が退屈でたまんなかったさ。酒場はねえし女郎屋はねえし、賭事したくても賭場ねえし。江戸はまさしく竜宮城なわけだよ。いっぺぇ悪いことしたけど、楽しかったなあ。再任のためにいっぱいコネも袖の下も渡したけど、将軍様が変わって幕閣が入れ替わると伝手もなしだ。もう、潮時だなあ」
 もちろん、こんな本音を悪代官様ともあろう御方が、人様なんぞに聞かせる筈などございません。
 これは、み~んな、悪代官様の胸中をわたくしめが勝手に翻訳したまでのこと。
 あくまでもわたくしめの翻訳ですよ。
 よろしく頼みますよ。
 
「聞きましたよ、お代官様。そろそろ任期をお迎えになるそうですね」
 悪徳商人軍団、さっそく駆けつけてきましたよ。もちろん、手ぶらです。人情紙風船ですが、これも世の倣いです。
「再任は妨げず、なんて嘘じゃねーか」
「お代官様、お名残惜しゅうござります」
「うるせえ」
 火消しや大工や材木屋も駆けつけてきました。ええ、もちろん、手ぶらですとも。なんといっても人情紙風船。
「おい、聞いたぜ」
 北町奉行がわざわざ町人に扮して駆けつけてきました。当然ながら御奉行様がいちいち土産なんぞ持つ筈ないです。
「皆様、お世話になりました」
 背中を丸めて頭を下げる悪代官様なんて、なんだろう、ちっとも〈らしくない〉んですよね。
(こんな真面目な悪代官様、誰だって見たくもないやい)
 そう思ったのか、不覚にも駆けつけた皆さん、急に涙ぐんじまいましてね……湿っぽい空気になっちまいやがった。
「御奉行、大変です」
 北町奉行所から捕り物の格好をした一団が駆けつけてきて、何やら耳元で囁くや否や、北町奉行、物凄い形相になっちゃいました。
「ここにいる者、すべて引っ捕らえよ」
 なんてことない。越後屋さん、熱海の湯治場で捕まっちまったようです。そうなりゃあ、芋蔓式に悪事はバレる。悪代官様なんて、日頃から売り物の
「わがまま、きまま、なすがまま」
がなくなっちゃって、神妙に縛についてしまいました。
「これは何事ですか」
 奥から奥方が出てくると、それもまとめて捕縛だ。
 
 世に悪の栄えたためしなし。
 
 なかなかこういう当たり前のことが実感できない当節でございますが、やはり、ならぬことをしたからには、罪を贖う。これ贖罪といい、人の道には至極当然の道理と申すもの。
 こうして江戸中の小悪党が一同に介していたおかげで、十把一絡げに御用となる。こんな嘘のようで誠の間の抜けた顛末で、悪代官様の命運が、今まさに尽きようとしておりました。
「おらぁ、どけどけぇい」
 裸馬に跨って、片肌曝しながら向かってくるのは、なんと、いつも寡黙で愛想のない与力ではございませんか。
「あ~!御奉行、あいつは一〇年前の御前野駆けで、先代の公方様に粗相をした、手配中の旗本ですよ」
 奉行所の筆頭同心が慌てて指さした。
 そういえば、わたしも聞いたことがありますよ。御前で披露する野駆け大会がかつてありました。競技前に挨拶するまでは神妙だった雄藩の侍が、いざ野駆けとなったとたん、すっかりと人格変わっちまって、誰よりも早く駆けたのだがあとは無礼千万。公方様も逆上するくらいの無礼な態度に言論を繰り返して、その場から卓越した馬術で逃亡し行方知れずで……えっ、初耳だって?お上というものはですね、そういう三面記事な話題を世間には秘するてぇのが相場なんです。
 でも、まさか、寡黙な与力。
 あんたが、実はそうだったなんてねぇ。驚きました、ホント。
「おい、悪代官。さっさと乗りやがれぃ」
 無礼千万な口上で、与力さまはひょいと悪代官様を背中に乗せるや否や
「それ、こんなお江戸、こちらからおさらばしてやるぜぃ」
 そのまま走り出しましてね。乗馬術では誰も敵わず、そのまま走り去った。追いつけず、中山道の木戸を破ったことまでは分かりましたが、あとは、ようとして行方知らず。
 いいんですか。
 こういうオチ。
 ありですか?
  
 悪代官様ね。裸馬の背に揺られて、たぶん、常陸国の方に向かっていったんですね。長い長~い海岸を、裸馬に乗って逃げる与力と悪代官様。なんだか物凄い絵になりそうですね。
 おふたりの行く先ですか?
 心当たりなんて、わたしにはございませんよ。
 与力は途中で馬を替えていったようです。当然、下馬する訳ですが、これがまた
「馬、替えます」
てな具合に寡黙に戻ってしまう。それでいて、ひとたび馬に跨ろうものなら
「行くぜ、悪代官よ」
ときたもんだ。人間とは、はなはだ滑稽にして、面白きものにございますな。
 
 えっ。わたし?
 悪代官様を親しみ籠めて語りべとしている、このわたしですか。
 いやですよ、教えたげません。お縄になっちゃうじゃないですか。どうせ一つ穴の狢なんですから。
 あんたも、そこのあんたも。
 叩けば埃がでるでしょ?
 御奉行様と一緒ですよ、所詮は人間なんでございますから。
 
 ところで悪代官様。
 まんまと行方をくらましてしまいましてね。わたしの知るところは、ここまでです。天竺やら南蛮とやらに、船に乗っていってしまわれたんですかねえ。それともあなたのすぐそばに……どうですか?
 もしいたら、お伝え願えませんか。
 大きな口では云えませんよ。
 それ、お耳拝借。
                      完


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