感謝ノートの境地とは
ずっと感謝ノートを続けている。何かありがたいことがあったら書き込むノートが感謝ノートだ。
そのノートを続けていってたどり着いた境地!について話したいと思うのですが、その前に感謝ノートについて書こうと思う。
感謝ノートはとても素晴らしいと思う。その理由はたくさんあるけれどもここでは3つ書こうと思う。
一つ目は、感謝することに気づきやすくなるということである。ノートを書いているときには、「感謝することあったっけなぁ」と考えながら書く。
なので、必然的に感謝について考えることが増えて、いろいろな感謝することに気づける。
あっあれも感謝だなぁ、これも感謝だったなぁと思い浮かんでくる。そうするとたくさんのありがたいことが生活の中にあったのだと気づくことができるのだ。
そうするとだんだん嬉しくなっていく。
次に、感謝するととても心地よい感覚になる。これは本当に素晴らしい気持ちだ。
感情の波動をランキング形式にしたものをみたことがある。怒り、楽しみ、喜びなど何十もの感情のなかのトップに位置するのが『感謝』だった。
それは、喜び、嬉しい、楽しいよりも上だった。その感覚に浸れるのが、感謝ノートだ。
書いているときは、ありがたい気持ちに包まれる。時には感謝の気持ちにならないこともあるが。続けていればさっと感謝できるようになっていく。
その気持ちになっているときは本当に幸せだ。生きていてよかったと思えることが増えていく。
3つ目は、読み返すことで、感謝の気持ちを取り戻すことが出きるということだ。わたしは、もちろん感謝できなくなることも沢山ある。
というか、日々そういう嫌な事柄に囚われてしまう。しかし、このノートがあればすぐに気持ちを切り替えることができる。
このノートにはさまざまなありがたいことが書かれてあるので(わたしは2冊目です)、読むと瞬間的に多くのありがたかった感情に浸ることができる。
あーそうだ、うーんこれもそうだったと、いろいろと思いだし気持ちを切り替えることができる。そして感謝の気持ちに浸っているときは、酔っているかのように心地よい中に入れるのだ。
このように感謝ノートをつけているといろいろと気づかせていただくことができる。
感謝ノートも早1年弱になるが、それまでたくさんの事柄を書いてきた。以前より人と接することができるようになったとか、幸せに感じられる時間が増えたとか、勉強がはかどったとか、こんな感じだ。
そしてここ最近は、少し内容が変わってきているのである。それは、今日も食事を食べられたとか、足が動いたり手が動いてありがたいとか、今日も無事に過ごせたとかそんな感じである。
すごく地味に聞こえるかもしれないのだが、無事に過ごせるということがどれだけありがたいのかということを思えたときの喜びは素晴らしい。
わたしも人生いろいろあった。精神の病がひどいときは、立ち上がれないとか、全てが恐ろしく感じたりとか、緊張が止まらずに苦しいということがあった。
エアコンがない部屋で夏を迎えたときは、危うく死ぬところだった。
病院に入院(精神)すると、変わった人の中に入れられ閉じ込められる。ご飯も自由に選べない、することがなくて暇で苦痛。プライベートと自由がなかった。
こういう辛い状況が今はない。毎日いろいろとあるにはあるが、無事に過ごせている。以前の大変さを思い返すと今この時は、ありがたい1日だと気づくことができる。
わたしは、書く数が減ったように思うが、無事ということに集約されているんだなぁと思う。何か特別なことが起こったから幸せでありがたいだけではなく、無事で過ごすことのできらる毎日毎日、一刻一刻がありがたいのだなぁって思う。
私たちは物質や名誉など見えるものを追い求めがちであるが、まずは今幸せになることが先決なのではないかと思う。あとは、二の次だと思う。
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