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純文学、難しい?

純文学と言われるジャンルを、読書歴が浅い私が読んでいると難しいという壁にぶち当たってしまう。

難しいというのは、言っていることが分からないだったり、文章が長すぎて解読しきれないだとか、登場人物の気持ちが理解できないと感じてしまうところにあると思う。

簡単に言えば、私の読解力がまだ足りていないということが一番だと思う。

先ほどサンテグジュペリの『夜間飛行』を読了したのだが、正直に感想を言うならば、つまらなかった。

本当に、つまらなかった。

これは、読解力の問題だと痛感している。何となくストーリーもわかるし、登場人物が誰かも把握できているのだが、この文章は誰の気持ちを言っているんだろう?と分からなくなったり、何が言いたいんだろう?と訳が分からなくなってしまう。

正直にいうと、この煩わしい文章はもっとシンプルに伝えられるのにどうしてそう難解にしてしまうのだろうと思ってしまう。しまいには、理解できない自分に対してイライラしてしまい、投げやりな気持ちで読んでしまう。

この夜間飛行をネットで調べるとかなりの良い評価がついていて、皆が称賛している。それを見るたびに、切なくなり悲しくなってしまうのだが、逆に悔しくなってそのエネルギーを使って読破してしまった。

他にも、『火花』『こころ』『コンビニ人間』『あひる』など純文学はいくつか読んできたが、純文学というのはどうやら再読したくなるものばかりだ。

一回では理解しきれないところがある。

ただエンタメ小説を読んでしまうとその読みやすさに、ホッとする感じを覚えるのだが、しばらくすると何か物足りなさを感じて純文学に戻ってきてしまう。

『コンビニ人間』は一昨日読み終えたばかりだが、すごく良かった。読了後にすぐ良かったという感じより、しばらくたってじわーっと良さがわかるように感じた。

とにかく純文学は、まだまだ私にとって未開の地。読書を続けて、深く読める人へと変わっていきたい。

最後に、『夜間飛行』では操縦士ファビアンとその妻の間の愛を表現している部分があるのだが、その表現というか文章は美しいと感じた。

純文学の良さはそこにもあると思う。

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