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鬱病、SOSを振り返る

いざ、転職内定書を貰い、引っ越し先が決まると、無事に家の契約で貯金がすっからかんになったとは言え将来の方向性が決まったので、人に報告を兼ねて連絡を取りやすくなる。

しかし、鬱で落ちていた時。助けてと叫ぶことすら勇気が必要だった時、どんな人に連絡を取れたのか、ふと考えてみた。私の場合は、年賀状をくれる人だった。

私は毎年年賀状を100枚書いている。100が私の限界であるから、その宛先は毎年若干の変動があるが、それでも何年もやり取りをする年賀状の常連はいる。常連さん達は年に二回ほどしか会わないような割とドライな関係だが、それでも私にとっては毎日職場で顔を合わせる上司より大切な関係性である。

若いのに年賀状送るなんて珍しい、偉いね!と言われることが多い。確かに私の同世代の友人で年賀状を毎年手書きしている人間などいない。しかし、小学生の頃、突然母が病に伏して集中治療室に1年間収容された経験がある私としては、大切な人が謝罪や感謝を言う暇もなく目の前から消える事実が色濃く刻まれている。故に、とりあえず昨年1年分の感謝は更新しておいて、葬式の時に「ありがとうともっとちゃんと伝えておけばよかった」というようなダサい後悔の涙は流さないようにするという気持ちで年賀状を書いている。

自分が全てメッセージを手書きで書くからこそわかるが、年賀状を書くっていうのはしんどい。メッセージに悩む相手や、来年会うつもりのない人には送れない。

私が助けてと言えたのは、そのしんどさがありながら、毎年年賀状を返してくれる常連さん達だった。私が一方的に送る年賀状の返信が無いのは当然だし、皆社会人をやったり、家庭を持ったりしながら年賀状なぞ書く余裕がないことも想定内だし、見返りは期待していない。それでも、律儀に年賀状を返してくれた人達は、自分を気にかけてくれていることが物理的に残るのだ。死にたくて身辺整理を始め、段ボールを捨て始めた時に目に入った年賀状。最後に愚痴ってみようかと思えた。

人によってどんなことをして貰ったら、助けを求められるかは違うだろう。ただ、自分はいただいた年賀状に対して、少なくとも相手に何も言わずに勝手にいなくなってほしくない場合は、絶対に返そうと改めて思ったのである。さて、今年も油性ペンを2,3本バックに持ち歩く季節である。

明日も自分に優しくできますように。

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