超短編「影」

︎「影」2021.8月  


コイツはロクな所に行かない


「影」はそう思いました。「影」は 付いた主の行動に付いていくだけの人生です。「影」の主の外出は人気のない夜や早朝ばかりでした。

「影」の存在が薄い時間ばかりです。「影」も強い日差しで濃く短くなったり、穏やかに翳りある日差しで長くなったりしないと運動不足になり一人前の影になれないのです。


 ある日、珍しく晴れ渡る昼間に「影」の主は外を歩きました。歩きながら、おばあさんの背後に近寄りました。こともあろうに おばあさんのバッグをひったくりました。男が走って逃げていくのを見た「影」は付いていくのが嫌になりました。


「影」は他の影と重なり合った時に他の主の影にのり移ることができます。


逃げていく「影」の主は、車椅子の女性の横をすり抜けていきました。「影」は 車椅子の女性の「影」になりました。

今度の影の主の女性は、穏やかな天候の日に外に出ます。歩く速さで進む小道で、鳥のさえずりや散歩する猫や犬とのすれ違いに「影」は心ときめかせました。この女性と過ごす時間に影は安心できる平穏な幸せを感じていました。


平穏…


通常、「影」は意志をもちません。


昔、「影」は歩き始めた赤ちゃんの「影」でした。赤ちゃんのお母さんは、気のすむまで歩かせてあげようと公園に連れて行きました。夏の強い日差しが「影」の存在を鮮明にしました。何も知らない赤ちゃんは、自分が動くと一緒に動く「影」に興味を示しました。「影」をじっくり眺めては嬉しそうに笑います。

「影」はとても嬉しくなりました。

「影」の存在など誰も気に留ないからです。

「影」は存在を認められた事で意志を持ち始めました。


けれど 平穏な日々は、呆気なく幕を閉じました。車椅子の女性は青信号で横断歩道を渡っている途中、信号無視の暴走車にはねられて死んでしまいました。

白昼の出来事だったので、「影」は存在のあるままに投げ出され、偶然救助にあたった救急隊の男性の1人の「影」になりました。


新しい「影」の主は旅好きの青年でした。

山に川に仏閣に、「影」は見たことのない景色に心沸かせました。旅好きの青年は晴れ男でした。何という幸運の巡り合わせでしょう。「影」の生命力溢れる機会をたくさん与えてくれました。


ある日、細い山の小道を抜けてたどり着いた先は広くて大きな海でした。「影」は生まれて初めてみる大海原に言葉にならない感動を覚えました。


「影」の主とともに碧い海と煌めく太陽の陽射しの美しさに立ちすくしてました。


「影」は「影」の主とともに深い感動に心熱くしました。

もう思い残すものはなくなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?