超短編「黒いもの」

「黒いもの」(2017年)

作家M氏の作品のタイトルには「黒」という言葉がよく登場する。

作品には、「権力悪」「社会的弱者」「欲」「金」「哀」が描かれていた。

貧しさから、若くから働くも、職場の不遇から色んな会社を転々とする。
古本屋で見つけた本を読み、好みの作家に出会い、さらに文学に傾倒する。
うら若き青年は、疑うことなく働くが、勤めた先の経営者は、仕事以外のものにのめり込み破綻していった。

働かなければいけない身の上は、苛酷な作業場へも飛び込むこともあった。
ある日の作業中、荷物が顔にぶつかり、よろめいた拍子に、鉄柱に眼鏡があたり、悪しくも破片が左目にささってしまった。
充血した痛ましい眼を隠すように眼帯をした。

それからだ。見たくもないものを見てしまうようになった。
薄ぼんやりとしているならば区別がつくが、明瞭に見えるとなると、相手が本当に存在しているかどうか区別がつかなくなる。混乱する。
概ね何物か得体の知れぬものたちは通りすがりが殆どで、気がつけば居なくなっている。
厄介なのは、浸潤したようにへばり付いた黒い影だ。悪ふざけ一つせずに、その人の魂の灯火を静かに小さくしていく。
ただ、多くの人を見て、M氏は気づいたことがあった。人それぞれの灯火は、毎日違う明るさだった。
何かを想う時、人の灯火は熱を帯び爛々と耀く。眩しいほどに瞬くと黒い影は怯み縮む。
面白いのは、怒りの熱い灯火では、人は体内に自らが小さい黒い火傷を作ってしまうことだ。

M氏が、不思議な視力に慣れてきた頃、以前までとはいかないが、左目の視野の一部が回復して、眼帯生活から卒業した。

黒いものと対峙していくつもりならば、魂の体温を上げていかないといけないのだろう。

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