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藤原京はなぜ短命だったのか?

藤原京はなぜ短命だったのか。

奈良は、都が長岡京、その後の平安京へ移って以来、発展から取り残されたようなところがある。

首都でなくなってからも衰退することなく、現在でも現役の都市として栄てる京都と比べると、歴然とした差がある。

しかしそれゆえに奈良は、昔の風景がそのまま残っていたり、遺跡の発掘が容易だったりする。

最古の寺がある明日香地方などは恐らく、2,000年以上前から変わらない、日本の原風景が広がっている。

奈良盆地に点在している、飛鳥時代やそれより前の時代の史跡を巡っていると、戦国時代や室町時代でさえ、とても最近のことのように思えてくる。江戸時代など、ついこの前のようだ。

奈良は、歴史好きにとっては特別な、たまらない場所である。

そういうわけでわたしもよく奈良を訪れるが、今回は藤原京についてのこぼれ話をひとつ。

藤原京がなぜ画期的だったかというと、唐の長安に倣った本格的な碁盤の目の条坊制の都だったことが挙げられるが、それだけではない。

それまで、都は天皇1代限りのものだった。
天皇が死ぬと、その地は捨てられた。
死は穢れであり、そこの建物はすべて取り壊し、木材も決して再利用しなかった。
これは当時の土葬の習慣とも関係した。

しかし、もうそういうことはやめよう、国力が削がれていくばかりで、唐のような大国と対峙できなくなる、と言い出したのは女性の持統天皇である。

唐の長安のような立派な都で、天皇が死んでも次の天皇がそこから支配する、恒久的な都を造るべきだ、ということで造成されたのが、藤原京である。

持統天皇は、「わたしが死んだら火葬にして」と遺言していた。
それで彼女は、火葬にされた初めての天皇となった。

これは本人にしかできないことだった。
都を恒久的なものとするために、あえて前例にないことを断行したのだ。

だが、その割に藤原京は短命だった。
694年から710年まで、持統、文武、元明の3代の天皇が支配したことから、1代限りだった頃と比べると画期的であったことは確かだが、わずか16年で平城京へ移った。

藤原京はなぜ短命に終わったのか?

これにはいくつかの説があるが、決定的と思えるものがあり、それは現代人の盲点を突くものだ。

白村江の戦いの後で遣唐使が途絶えていた時期、長安に関する知識が乏しく、乏しい文献から多分に想像力を働かせて造った都だった。

それで遣唐使が再開されて、実際に長安を訪れた際、彼らは愕然とし、思わず「ちゃうやん」と叫んだ。
藤原京は都の中央に天皇の住まいを置いていたが、長安では皇帝の住まいは北の端に大きく位置していた。

「天子、南面する」という言葉があり、皇帝は南に向いて支配することになっており、中央に巨大なメインストリートが走り、その両側に多くの建物群が配置される、というスタイルだった。

では藤原京を、長安に似せて天皇の住まいを北の端に移すという改修工事を行えば良かったかというと、それはどうしてもできなかった。
それで、せっかく造った藤原京を捨てて、平城京に移った。

なぜか?

藤原京は奈良盆地の南の端にあり、平城京は北の端に位置していた。
この位置関係と、ポイントとなるのは都の中を流れていた川である。

藤原京では、都の中を飛鳥川が流れていたが、それは南から北へと流れていた。
川には、下水も流れ込む。
なので、北へ行けば行くほど川は汚れていくことになる。

もし藤原京で天皇の住まいが北の端にあれば、天皇の住居には都の人々が使った後の、もっとも汚れた水が流れ込むことになる。
これはよくなかった。

一方平城京では、川は北から南へ流れていた。
なので、天皇の住まいは一番きれいな水を使用することができた。

そして身分の高い人の住まう区域から身分の低い人の住まう区域へと、川は流れるにつれてだんだんと汚れていった。
平城京の南の端、羅城門を出たところ、つまりもっとも汚れた水が流れるところには、牛馬の処理場があった。

藤原京を短命に終わらせた真相は、川の流れる方向にあったようだ。

現代人にとって川とは、水が流れるものでしかないが、昔は川と言えば交通、運送の主役であり、都市への給水と排水、土地の産出性にもダイレクトに直結する超重要なファクターだった。

奈良盆地の中を、北から流れる大和川は、南から流れる飛鳥川を吸収して河内へと流れ、当時の国際貿易港、難波に通じていた。

今の鉄道や高速道路の役割を、古代においては川が果たしていた。
大和川や飛鳥川の水運により、多くの物資や人々が難波と奈良との間を忙しく往来していた。

平安京、大阪城下町、江戸、現代の東京も、都市の発展にとって川は欠かせない存在だった。

川は氾濫することもあるし、枯渇することもある。
強力な防衛手段となることもあれば、水攻めによって滅ぼされることもある。
都市と川とは非常に微妙な関係にあるが、これをどのように制御するかで、支配者の優劣が決まった。

歴史を考えるとき、川は決して軽視できない。

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