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日本とJAPANはもともと同じ言葉だった

日本とJAPAN。
共にこの国を表す言葉だが、日本人は「日本」と言い、外国人は“JAPAN”と言う。
なぜこうも言い方が違うのか?
 
ところで「日本」という漢字をあなたは何と読みますか?
「にっぽん」? または「にほん」?
実はどちらも正解で、どちらも正しい日本語だ。
 
とは言え、「にっぽん」の方が歴史は古い。
「にほん」という言い方が広く使われ始めたのは江戸時代になってからで、比較的最近のことだ。
 
大阪の日本橋は「にっぽんばし」と読み、東京の日本橋は「にほんばし」と読む。
どちらも江戸時代初めに架けられた橋で、最初は両方とも「にっぽんばし」だったのが、年月と共に、東の方の橋は「にほんばし」と呼ぶようになった。
 
江戸っ子たちが粋だとして使い始めたものと思われるが、単に言いやすい、ということもあっただろう。
 
日本の中心が江戸である時代が長く続くにつれ、五街道の基点である重要な橋を「にほんばし」と呼ぶ慣わしが、徐々に全国に広まっていった。
 
しかし大阪を中心とした関西は、江戸または東京の風下に立つのを嫌い、「にほん」という言い方を受け入れるのに抵抗があった。
やはり言いやすいので次第に使われるようになったが、その定着のスピードは緩慢であった。
道頓堀に架かる橋も、いまだに「にっぽんばし」である。
 
ともかく、日本は元々「にっぽん」であった。
ところが、実はこの言い方もオリジナルではない。
「にっぽん」は音読み、つまり中国語の発音であり、和語ではないのだ。
「日本」は昔、「やまと」と読んでいた。
 
平安時代に遣唐使や留学僧が唐に渡り、その都長安において中国語の発音を学んだ。
彼らは帰国後に中国語の発音を盛んに使うようになり、それが国内で徐々に定着するようになった。
この流れの中で、「日本」も彼の地での発音、「ニエット・プアン」が導入され、やがて「ニッポン」という言い方が一般に広まった。
 
さて中国でも時代が進んだ。
時と共に、中国人による「日本」の呼び方も微妙に変化していた。
 
元の時代に、宮廷で仕えたマルコ・ポーロというイタリア人は、東の方に黄金の島があることを知らされた。
その島を何と呼ぶのか尋ね、 聞き取った名を旅行記に書き付けた。
ジパングである。
 
彼がヨーロッパに戻った後、ジパングの存在は各国に知れ渡った。
やがて大航海時代となり、戦国時代の日本にやってきたポルトガル人は、日本をジッポンと呼んでいた。
少し遅れてやってきたイギリス人は、自分たちが言いやすいように、その島国をジャパンと呼んでいた。
日本を表す英語のJAPANは、こうして生まれた。
 
つまり、日本とJAPANは元をたどれば古い時代の中国人の発音に行き着くのである。
遣唐使を通して東の日本に伝わったのが「ニッポン」であり、マルコ・ポーロを通して西のヨーロッパに伝わったのが「ジパング」である。
「ジパング」は、後にイギリス人が遠く航海をして日本にやってきた時、「ジャパン」という発音になっていた。
 
そのような訳で、日本とJAPANはもともと同じ言葉なのである。
 
(ただしこのコラムの見解には諸説あります)
 
 
 
 
 
 

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