僕にとって酒が何なのか改めて考えてみた

あれは高校3年の夏…僕は初めて飲むチューハイを片手にこんなもんかと思った。

確かクラスの体育祭の打ち上げで誰かが言い出したのだったと思うが、誰も酒の味も酔うことも知らなかった。もともとアルコールに耐性があったのか「ジュースと大差ないな…」というのが正直な感想だった。

それからしばらくして酔うこと覚え、酒お純粋にドラッグとして捉えていたこともあったし、そんな酒の側面に助けられることもあった。だが、「あの時の”酔い”が最高だった」とか「あの時の”酔い”は不思議な体験だった」と思い返したことはない。
でも味わいは違う。当時、四家杜氏が醸していた酒、数馬酒造の能登純米を飲み、清酒のおいしさに初めて感動した記憶は初恋のように甘美に覚えている。それから次第にお酒が好きになるにつれ、”酔う”という側面は次第に舌を鈍らせる煩わしいものとなっていった。だから「何のために酒を飲むのか」と言われると味わいなのだろう。

その味わいも造りを想像したり、料理との合わせを想像したり、今後の熟成した味を想像することでさらに豊かになってくる。酒を飲んだり造ったりするほどに酒との会話が楽しくなった。

酒の美味しさの話になると「美味しい酒かどうかは誰と飲むかで決まる」というような意見に高確率で遭遇する。これは楽しさと美味しさを混同しているという間違いがあるが、とりあえず自分に当てはめて考えるなら美味しいお酒は一人で飲む酒になりそうだ。だから展覧会や映画館に行って作品を鑑賞するときの感覚に少し似てるかもしれない。日本には神に備えた酒を仲間と共有するという文化があるけど、それとは矛盾した鑑賞を同時に行なっている気がする。

じゃあ逆に造る側として酒って何だろうって話はあるかもしれない。でも、どういう酒を作りたいのかを考えるにはあまりにも未熟で土俵になんてとても立てない(でも醸造との関わりはとても楽しくて、思うところや他の人にこんなに素晴らしいんだよって言いたくなることはたくさんある)。

だとしても、これから醸造に発酵に向き合って、最終的にはその責任を負いながら携わりたいと思っているからこのnoteを書き始めたのだと思う。だから今後、酒や発酵物に対するあれこれをnoteに書き連ねながらゆっくり整理していきたいと思う。


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