論語 微子1 加担しないだけでも偉い

 微子は(紂の支配する殷から)亡命し、箕子は奴隷に身をやつし、比干はつよく諫めて殺された。先生は言われた。「殷には三人の仁者がいた」。

井波律子(訳)(2016)『完訳 論語』 岩波書店

 紂というのは殷という国の王様で暴君でもあったようだ。微子、箕子、比干は彼の部下で彼の行いを諫めたのだが、上手く取り入れられなかったのだろう。
 微子は殷から逃れ、箕子は狂人のふりをして奴隷になり命を守った。比干は二人よりも強く諫めたようで王の逆鱗に触れ殺させることになる。

 孔子は彼らに順位をつけることなく、三者三様の生き方を仁者として扱っている。本質的には彼らがどんな業績を残したのかという事を考えなければ、微子は薄情者、箕子はずる賢い人、比干はただの死にたがりと捉えられてしまいかねない。研究しなければいけない部分ではある。今回もそこまではしないが。

 今回の孔子の言いたい事としては、どんな最後を迎える形になってもそれぞれに仁者としての価値があるという事だろう。
 見切りを早めにつける事と自分の信念の為に死ぬ事は全く別なものである。どちらかを評価するとどちらかが悪くなってしまう。行動だけで考えると両者を同列に扱う事は矛盾を起こしているように見える。

 では、ここでいう仁とは一体何を示すのだろうか。ここからは個人的な予想になる。
 微子は先見の明だろうか。自身の立場と暴君の行いから早めに手を打ったことにある。箕子は機転の利かせ方だろうか。命が危うくなった時に狂人のふりをして、奴隷という身分まで落ちたが、命を守る事は出来た。
 比干は忠誠心だろう。暴君の言う事に従うのではなく、間違っている事は間違っていると最後まで諫め続けるのは誰にでも出来る事ではない。

 おそらくだが王様の部下が三人という事は考えにくいので彼の元で荒れた政治を結果として手助けした人物はいたのだろう。保身の為か、強く言えないのか、正しいことが分からなっていたのか。理由は様々あると思う。そのような人物は悪影響を広げるだけである。
 三人の中だけで考えると、生き残った方がいいと考えてしまいがちであるが、そちらと比較すると三人とも仁者と言えることも頷ける。

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