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論語 陽貨4 冗談は穏やかでありたい

 引用文献によると鶏を料理するのに牛刀を持ち出すとは、小さい事をなすのに大げさな物を持ち出すことの例えのようだ。武城というのは小さな町らしく、普通に読むならそのような規模の町において礼楽を用いて治める必要はないという事になる。  しかし孔子は冗談といっているので、このような小さな町で活躍している子游の技量の大きさをユーモアをこめて評価しているものだと解釈できる。  そこから二人の会話の情景が見えてくるような気がする。人が音楽に慣れ親しんでいる道の中、孔子は穏やかな口調で冗談

    • 論語 陽貨3 自分達だけの為の知能

       前回の陽貨2で、生まれながらに人に差はなくその後の勉強で差がつく、という話が出ている。最上級の知能の持主とは、何かの専門分野に優れている事だと私は思っていたがどうやらそうでもないようだ。  難しい言葉を並べて最先端の技術や流行の知識を持っていたとしても、それが周りの人間に還元されなければ意味がないからだ。  むしろ、近代の戦争の歴史を振り返ってみると、自分たちが他の民族より優位であるという事を掲げて民衆を煽るという事があちこちで起こっている。  日本も例外ではない。第二次

      • 論語 陽貨2 結局自分が変わる方が早い事が多い。

         生まれついた能力に差があるわけではなく、その後の勉強や環境が大事である、というのは論語の中で度々話題に上がる。  非常に前向きな言葉であると私は感じるが、現代では教養や習慣はお金や周りの影響を受ける。自分自身の生まれつきでの差は少ないかもしれないが、親がお金持ちかどうか、勉強に熱心でいるかどうかで差がついてしまうというも事実である。  ここで考えられる問題は、学習、経験の問題を他人のせいにしてしまう考えが一般的になってしまう事、社会に出ていく準備期間の領域が学校や家庭内と

        • 論語 陽貨1 嫌な奴にも礼を忘れず

           孔子はどうやら陽貨を快く思っていないようだ。引用文献によると若い時に迫害のような扱いを受けており、さらに旅をしていたころ評判の悪い陽貨に顔が似ているからと間違われ捕捕らえられた事があるようだ。  陽貨は好き勝手に政治をして国を混乱に貶めたことがある。  陽貨が言っている事は立派である。実力があるなら国のために生かす、政治が出来る立場にいるのにその機会をみすみす逃してはいけない。孔子はそれに加える形で時間の概念を取り入れている。  しかしその実態が紹介した通りであれば、どん

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          論語 季氏14 同じ人でも様をつける

           関係性によって呼称が違うという事にどのような意味があるのだろうか。  私自身の率直な感想としてはただめんどくさいだけである。文化として一括りに納得するのは簡単だが、そのような文化がありそれが論語に載っているというのは何か意味があることだと思われる。  予想の範囲内でしかないが、言葉によって立場や関係性は強固なものになるのではないか。  諸侯というのは領地を治めている人である。一定の規模の人をまとめる立場にあり、また諸外国との関係も一般人以上に求められると予想できる。だから

          論語 季氏14 同じ人でも様をつける

          論語 季氏13 正しさに振り回されない事

           身内にだけ贔屓になるという事は往々にしてあるだろう。関わり合いが多い分、他所とは違う物や考え方を授けているのではという陳亢の考えは理解できる。しかし孔子は特に重要な事は話をしていなかったようだ。  これは陳亢の評価の通り、君子は実の息子であっても特別扱いをしていないという事だ。逆にいうならどんな関係性の人であろうとも、学習する意欲があるなら教えを授けていたという事だろう。  関係性による贔屓をしないというのは簡単なようでいて難しい。相手を不当に扱かい虐げる等に関しては分か

          論語 季氏13 正しさに振り回されない事

          論語 季氏12 皮、物、お金、流行が目当て

           当たり前といえば当たり前の話である。人を見ているようで実際はその人の持っているお金や知名度、外見を見ている人は多い。無くなってしまえば誰も相手にしなくなるのは当然である。  伯夷、叔斉がなぜ餓死をしたのかは分からないが、お金持ちであった景公と比べ餓死をするほどに物が無かったと考えられる。物を持っていない人に多くの人が集まるのはその人自身が目当てである。  その引き付けるものは奇特であると捉えられている。  そのような人間になるのは自分で行うのも他人に進めるのもハードルが高

          論語 季氏12 皮、物、お金、流行が目当て

          論語 季氏11 理想の為に現実を変える

           現実を何とかしようとするなら一般的な価値観の枠組みでは限界があり、そういった人物は極端に少ないという事だろう。  善悪の判断をつけて実行するだけでも私はすごいと思う。そのさらに先にあるという事に驚きである。理想のために俗世間の生活を捨てるということは一つの新しい価値観である。それが名誉やお金につながるかどうかは保証されない。むしろ一般社会に認められないような生活をしているという事だ。ただの怠惰ではなく、理想を実現させる手段として常識的には行えないようなことをするのは、発見

          論語 季氏11 理想の為に現実を変える

          論語 季氏10 まずは自覚する事

           当たり前の事を言っているが、こなしていくのは非常に困難を極める。視界、聴覚が優れているという事は単純な視力、聴力の問題ではないだろう。見るもの、聞くものに関しては知識が無ければ分からない。偏った知識や傲慢さは間違った解釈や歪んだ考え方で納得してしまう。    表情が柔らかく、態度において誠実であるというのは自分の気持ちを安定させていなければいけない。ちょっとやそっとの事で動じない精神性を身につけていなければ、無理をして作り笑いをしたり、気が付いたら見えないところで悪口を言っ

          論語 季氏10 まずは自覚する事

          論語 季氏9 嫌な事でも必要な事

           学ぶ意欲が無い人間は孔子であってもどうしようもないという事だ。人は変えられないという話はよく聞くが、厳密に言うと人の気持ちは変えることが出来ないという事だろう。こちらのアクションで相手が影響を受けて変わる事はあるが、本質的に直接変化をもたらすことは出来ない。  興味深いのは苦しんで困っていてもなんとかしようとする訳ではないという事だ。私自身にも経験があるが、困ったと愚痴を吐いていたり、悪口を言っていたほうが遥かに楽なのである。何かアクションをする必要が無いからだ。まして愚

          論語 季氏9 嫌な事でも必要な事

          論語 季氏8 自分以外から学ぶ

           畏れ敬う対象を運命、人、言葉と三種類に分けている。小人はそもそも敬う事すらしないという事だろう。天命をどう解釈するのかであるが、人の意思ではどうにも出来ない事という意味で自然とも言える。病気になる時はなる、災害に見舞われるときはどうしようもない。  防災とは災害が起こった後の対応であり、現象そのものに立ち向かっているわけではないからだ。  人、言葉という分け方も物理的に接触できる人か、そうでない人か(過去に生きていた人)という訳肩をしていると思われる。  過去から伝えられ

          論語 季氏8 自分以外から学ぶ

          論語 季氏7 成長と老化による欲の種類

           同じ人物でも年齢において陥りやすい事は違うという事だ。  若いうちは異性との関係性を戒めるという事が必要である。思春期が多感な時期というのはよく言われているが、気持ちが前面に出やすいのだろう。   中年頃には仕事に精を出している時期である。価値観もある程度固まり自分の意思が強くなる傾向があるので、必然的に相手とけんかになる事が多くなるだろう。  老人になると仕事上での活躍が難しくなる。自分の人生を仕事以外で充実させる必要がある、その際にお金を必要以上に浪費してしまってはいけ

          論語 季氏7 成長と老化による欲の種類

          論語 季氏6 言葉以外から察する

           共通しているのは相手の求めることが分からずに、自分の気持ちを最優先にしてしまった結果といえる。相手より先に話してしまうのも、聞かれているのに答えないのも、タイミングが的外れだからである。自分が話したい事だけを話したい時にだけ話すからだ。  特にここでは話の中身や質については言及されていない。黙ってしまう理由としては素直に分からないと答えることが出来ないという事もある。  さて、目上の人という話が出てきているが、自分より下の者の話を遮ってよいかというとそうではないだろう。

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          論語 季氏5 趣味に口出し

           私の趣味や仕事以外の時間は専ら有害な趣味の(二)である。何かに精進するわけではなく、ただストレス発散のためにお金を使い何の役にも立たない動画を見てはゲームをしている。  息抜き等になるので全てが悪だとは思わないが、それ以外の趣味が全くない事は問題である。賢い賢くない以前に友人も少なく、人の善行、活動など嘘かほんとかどうかわからないSNSやニュースの類でしか分からない。音楽、礼儀に至っては昨今の音ゲーやマナー講師というような流行の類ではなく文化に根差した物の存在すら感じる事は

          論語 季氏5 趣味に口出し

          論語 季氏4 判断する自分が歪まぬように

           自分一人の力では何事にも限界がある。その時は周りの力を借りる必要があるが、やっかい事に巻き込まれたり悪化するのも周りの環境から影響を受けるものである。  その際に見極めるべき事を三つ教えてくれている。さらに比較する形で付き合ってはいけない存在も三つあるようだ。  そしてそれぞれは表面上、同じように見えてしまう可能性がある。特に誠実な人とへつらうだけの人、物知りな人と口先だけの人は少しつき合っただけでは人を見る目が無い限り分からないだろう。  誠実かそうでないかは自分が間

          論語 季氏4 判断する自分が歪まぬように

          和田裕美「タカラモノ」を読んだ感想文

           久々に小説を読んで面白いと感じた。  物語の概要は、自由奔放に生きる母を持つ娘、ほのみの物語である。小学生、思春期、大学生、社会人の各時代でほのみは様々な理不尽な目にあいながらも母の言葉で一つ一つ乗り越えていく。  作品を通して気に入ったのはぶち当たる壁が綺麗ごとだけではないという事だ。ほのみは運動会でビリになったり、自分の体形に悩んだり、上司のいびりや仕事に対しての悩みにぶつかる。そのたびに「ママ」から教訓と元気をもらって乗り越えていくが、彼女のぶち当たる壁はそれだけで

          和田裕美「タカラモノ」を読んだ感想文