論語 陽貨25 経験則と思い込み

 先生は言われた。「ただ女子と小人だけは扱いにくいものだ。これらを近づければ、傲慢無礼になるし、遠ざければ、怨みをいだく」

井波律子(訳)(2016)『完訳 論語』 岩波書店

 人の属性を主語にして話をする時は注意をしなければいけない。女性だから、男性だからこうだという時その言われている中身を吟味しなければいけない。
 
 今回の孔子のように女性だから扱いにくい、というのは現代であれば一発アウトのような話である。使わないのがよろしい。性別や出身、年齢を主語にして話をする時は、それが客観的な事実である事がより求められる。身体的な特徴として男性だから子供を産めない等がその例である。

 同時に孔子にフォローを入れるのなら思い込みではなく経験則として男女差があるという話も踏まえた上で考えなくてはいけない。
 テロ行為に走る人は男性が多いという話を聞いたことがある。ここ数年で国のトップが銃撃される事件が相次いだが、加害者はどちらも男性だった。極端な少数の例をそれっぽく見せても仕方ないので、疑問の発信点としてしか機能しないかもしれないが。

 また、「信じる」という言葉の使い方についても男女で偏りがあると私は感じている。男性の言う信じるは根拠や証拠を作る「契約書」の概念であるのに対し、女性の信じるというのは自分の気持ちで完結する「祈り」に近い。

 このように経験からこうなのでは?という話もある。そして、少し間違えれば根拠のない噂話になり、大きく使い方を間違えれば、魔女狩りのような危うさを持っているのは覚えていた方がいいだろう。

 孔子の話に戻ると女性というのはどういった属性を持っていたのか。これは疑問の範囲内であるが、一般市民だったのか、権力者の妻だったのかで話が変わる。国の権力者が身内にほろぼされたり、女性関係で自堕落になるという事はよくある話である。現に孔子が大司冠という役人として勤めていた際、他国の策略で女性が送り込まれ、トップが乱れた際に彼は見切りをつけいる。

 だとしても女子というまとめ方をするのではなく、属性を書き記す必要はあると思うが。
 そこには漢文の特性や当時の言葉の使い方があると予想するのでこの辺も吟味をしなければいけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?