論語 季氏5 趣味に口出し

 孔子先生は言われた 。「有益な楽しみが三種、有害な楽しみが三種ある。(一)礼儀・音楽をほどよく実行実演するのを楽しみ、(二)人の善行・善言を話題にすることを楽しみ、(三)賢い友人が多いことを楽しむのは有益である。(一)贅沢でみだらな遊びを楽しみ、(二)怠けてぶらぶら遊ぶのを楽しみ、(三)酒盛り・宴会に興じてばかりの楽しみは、有害である」。

野中根太郎(訳)(2016)『全文完全対照版 論語コンプリート』 誠文堂新光社

 私の趣味や仕事以外の時間は専ら有害な趣味の(二)である。何かに精進するわけではなく、ただストレス発散のためにお金を使い何の役にも立たない動画を見てはゲームをしている。
 息抜き等になるので全てが悪だとは思わないが、それ以外の趣味が全くない事は問題である。賢い賢くない以前に友人も少なく、人の善行、活動など嘘かほんとかどうかわからないSNSやニュースの類でしか分からない。音楽、礼儀に至っては昨今の音ゲーやマナー講師というような流行の類ではなく文化に根差した物の存在すら感じる事は無いのである。

 早い話が自分の身近に有益な楽しみが無いのである。それに興じようとしない私自身に問題があるのだが。

 孔子の言う事は現代においてはだいぶ厳しいことを言っている気がする。しかし厳しいことを言っているが、間違っている事を言っているとは思わない。

 自分自身だけで完結したり、狭い範囲で身内以外に還元されることの少ない楽しみは、大勢の人が暮らす世の中において有害なものであるのだろう。
 
 現代の様々な問題点は自己責任の悪い部分が出てきていると予想している。助け合う為に自分のやる事、相手のやる事を明確にしているのではなく、責任を逃れるために自分のことだけを考え、誰かのせいにしたり引き受けすぎてしまったりする。

 特に、防災や教育の分野においてはその影響が強く出てしまう。防災も教育も家庭や個人の範囲で行うものではないが、教育現場が家庭の教育まで引き受け、疲弊しているという話を聞く。防災に関しても準備していない人が悪いと結論をつけた気になってしまう。

 技術の進歩によって意識せずに常識となってしまったデメリットを改める必要があるのかもしれない。

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