論語 泰伯4 弱さを知るだけでなく、受け入れる事も

 曾子が病床で死を覚悟しているところを、魯の家老の孟敬子が見舞った。曾子が話しかけて言われた。
「鳥が死ぬときは鳴き声が哀しくなり、人が死ぬときには、良い言葉を言うとされています。(臨終の私の言葉をお聞きください。)為政者である君子が礼について尊ぶことが三つあります。行動する時は傲慢さや粗暴さをなくし、顔つきを整えるときは心の誠実さをともなわせ、言葉を発するときは下品さをなくす。この三つが礼にとって大切な事です。祭祀の器物の取り扱いなどについてはそれぞれの役人がやりますので君子の礼ではありません。」

齋藤孝(訳)(2010)『現代語訳 論語』 筑摩書房

 結局のところ人は正しさで動いていない。感情で動いている。どんなに正しいことを言っていたとしてもそれに従うかどうかは全く別である。正しさだけで生きて行けるなら法律の中身を知っているだけで我々は犯罪を犯さなくて済む事になる。その中身ですら莫大な量になっており扱う専門家がいるのである。冷静に考えてみると変な世の中を生きている。

 規則も決まりも必要であるが、本質的に機能する為には信頼である。正しい政治が何なのかどうかという前に人を動かすときには信頼が必要になる。
この人に任せてみようと思えるような熱と言い換えてもよいかもしれない。
 曾子の言う事は態度、表情、言葉使いである。人を馬鹿にしたような態度をとっていては、またそれに気が付かないようであれば無駄に敵を作るだけである。

 私も何度か経験がある。組み立てて話をしているだけなのに相手からは一方的な思いをぶつけられる。そこを直そうと思ってもいつまでたってもこちらの質問に答えてくれない。こちらが相手の的外れな質問に答えていく過程で、相手はわたしが何をしゃべりたいのかの関心が無くなり、しまいには私自身も疲れ切ってしまい、何を話しているのかが分からなくなる。

 言葉遣いが良くないと指摘されたが、本音を言えば、私の質問に答える事が出来ない相手サイドに問題があるという思いは拭えない。話し合いを諦めて、私の質問を相手の愚痴の付き合いに変化させた方が良いのかもしれないが、それはそれで私自身相手に失礼であると思っている。こいつらは話し合いが出来ない人であると見限るわけだからだ。

 傲慢な考えであると受け入れて、先ほどの曾子三つの要素を磨くという事は私にとって非常に難しい。

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