論語 微子4 理想に生きる

 斉の国から、女性歌舞団が贈られてきた。季桓子はこれを受け入れ、(夢中になって)三日間、朝廷に出席しなかった。孔子は(失望して魯を)立ち去った。

井波律子(訳)(2016)『完訳 論語』 岩波書店

 この時孔子は、魯という国の大司冠という司法に携わる役職についていたが、権力者であった季桓子の堕落ぶりに見切りをつけたのか、魯を去っている。その後自身の理想とする人物を求めて旅をすることになる。

 歴史的な背景をみるといろいろな疑問が出て来る。これを斉の国の策略と見るのかどうか。引用文献によると役人になった孔子の狙いとしては季桓子等の貴族の力を削ぐ目的もあったという。堕落したならむしろチャンスとも言うべきタイミングなのかもしれないと考えてしまう。
 もしかしたら堕落したのは季桓子だけではなかったのかもしれない。そもそも、女性歌舞団が当時どのような役割をしていたのか分からない。孔子はもしかしたら既に限界を感じていてこれはきっかけにしか過ぎなかったのかもしれない。

 はっきり言えるのは、勉強不足ではっきり言えないという事だけだ。

 立場に固執することなく見切りをつけることが出来るというのは難しい。この時の孔子は五十五歳であった。金銭的な事や身の安全を考えるならそのままの地位に甘んじていたほうが賢明な選択と言えるかもしれない。
 しかし孔子の目的は、自身の理想とする周という時代の政治を復活させることである。その情熱を持ち続け、自身が動くという事は難しいものだ。
 
 実際にその後十四年程旅を続けるが理想となる国を見つけられることは出来なかった。それでも残りの人生は腐ることなく詩の編成に尽力し、後輩の育成に力を注いでいる。

 孔子のような人物であっても理想が叶うわけではない。ましてや、周りが彼の活動をいつでも後押ししてくれるわけではない。そういった事実も論語の中では記述されている。その中でも活動するからこそ孔子の言葉に説得力が付くのだろう。
 改めて「自分の力が周りに認められないのを悔むのではなく自分の力不足を悔む」という言葉の力強さと困難さに切なさを感じざるを得ない。

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