論語 陽貨23 自己管理と慈悲

 子路がたずねた。「君子は勇気を尊重しますか」。先生は言われた。「君子は正しさを第一義とする。君子に、勇気があって正しさがなければ、混乱状態を引き起こす。小人に、勇気があって正しさがなければ、盗賊をはたらく」。

井波律子(訳)(2016)『完訳 論語』 岩波書店

 子路は孔子の弟子の一人。果敢に物事を進めていく人である。尊敬する先生に勇気の大事さを説いて貰おうとしたが、孔子にはあっさりと勇気の危うさを説かれている。
 
 最初に正しさが必要なのは何に対してもいえる事である。その正しさがどういった事なのかであるが、ここに簡単に答えを出すことは出来ない。あえて答えのようなものを出すとすれば、規律やルールを守ることが正解ではない、簡単に答えを出すという発想そのものが危険である、という注意喚起の話にとどまってしまう。

 絶対的で具体的な何かは正しさを守るのではなく、ルールを守ることを良しとしてしまいかねないからだ。
 状況によって、何を目標とするかによって正しさは変化する。
 大災害があった時、生き残るために布団や食料をがれきの中から調達する事を窃盗と呼ぶのか。致し方ないという判断をどうするか。その様子を安全な位置にいる人がネットで見たらどう感じるか。火事場泥棒なのか特殊な状況のサバイバルかどうかは見た目だけでは判断がつかない。

 災害に関してもう少し話をすると、今では防災の備蓄の重要性が認識されている、避難場所が確保されていたりするなど、ある程度の災害であれば
個人の努力で何とかすることは可能だろう。

 同時に個人の努力不足と言ってしまうのも考え物だ。自然は人間の都合に合わせて出来ていない。来てほしくない場所に来てほしくないタイミングで予期せぬ規模で来るものである。想定内の中で収まってくれる訳がない。その中で備蓄や準備が個人の責任になってしまうと、どれだけ金持ちかどうかが最終的に生き残る条件になってしまう。
 持っていなかったら自己責任であると簡単に結論をつけてしまうからだ。

 大事なのは自分で準備をしつつも他人を助けることが出来るのかである。

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