論語 微子5 退く勇気と執着

 楚の狂接輿が歌いながら、孔子のそばを通り過ぎて言った。「鳳よ、鳳よ、なんとまあ、徳の衰えたことか。過去は改めようがないが、未来はまだ間に合う。よしな、よしな。今の政治にたずさわる者は危ないぞ」。孔子は
車から下りて、彼と話そうとしたが、走って身をかわしてしまい、話すことができなかった。

井波律子(訳)(2016)『完訳 論語』 岩波書店

 狂接輿は隠者と呼ばれる人である。自分の理想の為に、ひっそりと生きている人のことを言うようだ。今回出てくる人物が、元役人であるのかどうかははっきりしない。そもそも隠者という存在の証拠が曖昧なようで実際にいたかどうか定かではないようだ。

 そういった人物が孔子に注意を促している場面である。単純な嫌がらせに見えなくもない。少なくとも私は孔子のように活躍の機会を探して、奮闘する人物のほうが立派であると考える。
 
 簡単に現代と区別できる問題でもなのだろうが。
 自分が歪んだ事に加担せず退き、貧しい生活を受け入れるという姿勢は政治という分野を問わずに求められる事なのかもしれない。

 孔子も結局のところ晩年は詩の編成作業や弟子の教育に尽力している。
何度も話をしているが、孔子の理想の一つに周という時代の政治を実現させるというものがあったが、結局のところ達成することは出来ずじまいであった。

 自分の身の振り方を柔軟に変えていく、理想の為に今出来る事をするというのは待遇に目がくらんだり、地位や名声に執着してしまうと実現できることではないのだろう。
 孔子の理想は周政治の復活であるが、望んだものはルールや決まりではなく社会の姿と考えるべきだろう。それに近づける為に詩の編集に尽力したことは間違ってはいないと私は思う。

 自分がどの立場で何をするのかという事を考えさせられる物語である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?