正義の戦争など存在しない。思想・国益・人種・宗教・支配。権威主義一党独裁の危うさ。

人類は、戦争をするために長年存在するかのような生物である。有史以来世界で戦争がなかった期間が300年以下しかない生物。何故そのようなことになってしまうのでしょうか…。

古代から中世、近世までの戦争は、あくまで戦士や兵士による戦いであり、市民を巻き込むようなものではありませんでした。(モンゴル帝国などの例外はあります)軍隊が国家の力の部分を意味していて(経済国家もありましたが)軍隊が敗北すれば国家が消滅し、支配者が替わって、国民の大多数はそれに従っていました。

戦争の方法が変わったのは、やはり毒ガスや大砲、航空機の発達による爆弾による爆撃などの大量破壊兵器である。
それは、いままでタブーとしてきた民間人への攻撃を戦争という免罪符によって、いとも簡単に実行してしまいました。
その最たるものが『核兵器』です。

人類はこの最終兵器の核を抑止力として、なんとか世界大戦をしないようになっていますが、代理戦争や核のない国家間や内紛は未だ続いています。
このような争いを利用、あるいは捏造して、国家の主義、民族問題、宗教問題などを理由として戦争に介入したり、他国に対して大義を振りかざして戦争を開始してしまう。

いまやインターネットやテレビなどでリアルタイムで、そのような情報を得ることが出来ます。
どのような理由があるにしろ、外交も尽くさずに軍事介入することは許してはならないと思います。
人道的支援というなら、なぜ民間人に犠牲者が出るような侵攻を正当化するのでしょうか。

今一度平和のためには、今後どのような政策、判断をするのが最善なのかを、今、戦争や紛争、内乱をしている指導者に考えて欲しいと、切に願うばかりであります。


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