見出し画像

善く生きる

◆人生は死ぬまでの暇つぶし

死にたいと思ったことがない人に、大学時代初めて出会った。
そんな人がこの世にいるなんて。

死にたい、どうやって死のう、と1人で考えることは皆が通る道だと思っていた。私の親しい幼馴染たちは皆私と同類なので、死にたいと言わない人は見たことがない。
ある種カルチャーショックだった。しかも、実はかなり多くの人がそちら側らしい。

どんなに悩んでも、死ぬ、という発想がないのだろうか。しんどいな、もう嫌だな、が死に繋がらないなんて。この先も嫌な思いをするだろうことが、嫌じゃないのかな。

苦しい苦しい、苦しみから逃れたい。
生きていてもいいことがない、なんて言わないけれど、しんどいことが多すぎる。

私は今積極的に死にたいわけではないが、積極的に生きたくはないのだな、と思う。とはいえ、生きている限り、目の前のことに一生懸命に取り組んでしまう性格だから、疲れてしまうことがある。

◆劣等感

一生付き合っていくのだろうか。この苦しさと。抜け出したい。
真っ当に努力して、成果を出すことで、自己効力感は得られた。私は仕事を精一杯頑張って結果を出すことができる。

でも自己肯定感はなかなか身につかない。自分との約束を守ることも、自信があるように演じることも、試せることは色々やってきた。
それでもどうしても、世界に何かしらのいい影響を与えない自分には価値がない、存在していていいわけがない、という気持ちが消えない。

善人であろうと意識がある時点で、本当に善い人ではない。自分のために善い人でありたいから、一生懸命そうなるべく、そうするべく、毎日を送っている。


◆石橋を叩いている

今でこそ、しっかりもの、と言われるが、元々は忘れっぽく、抜けている、おっちょこちょいタイプだった。自覚して、迷惑をかけたくない、怒られたくない、と気をつけているから、しっかりして見える結果になるだけだ。
ものすごく注意深く生活しているのかもしれない。だから、外のヒトモノコトにものすごく疲れるのか。

予期できないことは苦手。
正解がないことが苦手。
仕事って全部そう。

勉強だけしていればよかった学生時代は、よかったな。



しんどい期だ。文章書けへんなぁ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?