ヤブデマリ
ついにここまで来た。
遠からず近くもなかった道のりはただ辛かった。
この事実だけは、誰にも疑わせない。
あの魔法の宮殿があると聞いて、体を起こし、脳を起こし、心をも叩き起こした。
全身の細胞があなたを求めるかの如く生気で満ち溢れたんだ。
古代より、古のごとく噂をされていた砂漠の中の砂の宮殿は、今、僕の目の前に佇んでいる。
どれほどのものを捨て、いかほどのものを諦めただろうか。
そう、この宮殿に眠る、財宝にありつくまで、あとどれほどの試練を掻い潜るのだろうか。
あと何滴の苦難を蒸発させなければならないのだろうか。
そんな今の状況を実況するかのような思考が脳内を駆け巡る。
「もういい。振り返りは終わりだ。」
そう見えない何かに独り言を投げかけた後、私は五段からなる低くて面積の大きな階段を踏んでいく。
そして、とうとう辿り着いた宮殿の妖艶な記憶に残る匂いを鼻腔から取り込み、強く扉を押した。
「ギー」
という音を出した途端。
「カー」
っと舞い上がる風が僕の視界を奪った。
その瞬間、何かに背中を押されるように踏み出してしまった一歩目の感触は無く、そのまま勢い良く下へ落ちていった。
「バッシャーン」
混乱する感情の中でも、死への恐怖だけが、無意識の脳裏には強く刻まれていた。
死ぬかもしれない、そんな長いようで短い落下の経験をした後に、眼前に広がったものは、真っ暗闇の中で一筋の光が、大きく佇む木を照らした水場であった。
とりあえず、そこまで行こう。
そう考える前に、体が寒さから逃れるように、その小さな地上へ向かっていた。
泳ぎゆく体を纏う水の感覚はどこか透けていて、しかし、身を突き刺すような冷たさと、美しさに混じった憂いが感じられた。
「バシャバシャ」
重たい衣服と体を頑張って動かし、小さな地上へ辿り着く。
その地上は、少し木に向かって傾斜になっており、木に近づくにつれ、雑草の活気が増えているような感じがした。
「ヒュン」
その瞬間、長年連れ添ってきた瞼が我を失うかの如く、その閃光に釘付けとなった。
「バッシャーン」
何かが落ちた。
光り輝く月光の彼方から隕石の塊のようなものが、目の前に広がる水面の真ん中に、大きな水しぶきを上げて落っこちてきた。
数分間の荒廃の後に、水面下に浮かび上がってきたものは、赤い球体のような一つの物体であった。
その物体の存在感はどこか異様で、妖艶な魅力を周囲に撒き散らしているように見えた。
まるで、水ですら近寄れないほどの、そのオーラは僕の目を奪った。
「何だ」
あれは何だろうか。
こんな声に出してしまうほどの大きな疑問が湧き上がってきた刹那に息を合わせるかのように、その変な物体は水流と共にこちらに近づいてきた。
だんだんとその物体の輪郭が、鮮明に見える位に時が経ったの期として、僕は重いかすらもわからない体を起こし、その物体に近づく。
その物体に近づくまでの足取りは力強く、重い一歩を踏みしめて、水面に近づくにつれてだんだん枯れていく雑草の上を歩いた。
その物体には、綺麗な文字で「31」と記されていた。
意味がわからなかった。
ふと周りを見渡す。
後ろにある大きな木の裏に何かがある気がした。
この疑問を頭の中の鞄へ詰め込み、少し小走りで木の裏の方へ足を運んだ。
「これは何だ」
そこには、触らずとも生気が無いと確認できる人型の何かがあった。
その人型は、自分と全く同じ姿をしていて、僕の中の全ての意識は、その人型に持っていかれた。
そして、その自分のような人型の先には、また赤い球体が地上に寄り添うようにして浮かんでいた。
しかし、その球体は今にも壊れかけそうな廃れた情調が感じられ、その表面には、錆びれた文字で「31」と記されていた。
ふと、その死体のような人型に触れようとした時。
「う、」
「この水面には渡れる所がある。」
そう人型の自分自身が声を出した。
「渡れる所?」
「ああ」
「水を渡るって、何を言ってるんだ?」
「まあ見てみればわかる」
そんなことを言い残し、壊れかけた足を前に出しながら、ゆっくりと体を起こして歩き出した。
「この花の前だ」
「この花」
「なんだ」
「いやなんでもない」
枯れている雑草の中に、存在感の薄い、散りかけた白い花が、こちらを覗いていた。
「歩いてみろ」
「俺が?」
このとっさに出た返答に回答はなかった。
そう思いながら、何故か左足を出した僕は、驚いた。
「チャプン」
沈む準備をしていた体とは裏腹に、差し出した左足は確かな踏み応えを感じていた。
「おい、なんだよこれ」
驚く自分にはお構いなしに、もう1人の僕らしき人型は続ける。
「そのまま進んでみろ」
言われるがまま、恐怖と疑念を凌駕する好奇心に身を預けたまま、差し出したままにしていた左足に全体重を乗せてみる。
「チャプ」
すごい。
これはすごい。
驚愕の感情と共に右足を水面に預ける。
「チャプン」
浮いている。
また、2回目の左足を水と人型を信じて預けていく。
「タプン」
浮いている。
もう声は出なかった。
驚きよりも、謎めいた期待感が勝っていたからだ。
そのままスピードが少し上がった自分の体はどんどん進んでいく。
「タプン、チャプン」
浮き足だった自分の下半身は、最初の二歩目までの発見は与えてこなかった。
少しでもずれたら落ちるかもしれない。
そんな恐怖を抱えたまま、僕は歩き続けた。
人型の自分には、五歩目を水面に預けると同時にあることを告げられた。
「後ろを向くな」
理由は聞いたが、回答は覚えていない。
とにかく後は向いてはいけない。
それだけが脳裏の決意を掴んで離さなかった。
あとどれくらい、この緊張感を抱えた綱渡りのような危殆を味合わなければならないのだろうか。
もしかしたら、あいつに騙されたのかもしれない。
この先に未来は無いのかもしれない。
いや、そんなことを考えてても、もうあいつの姿を目にする事は無い。
その時、何か光のようなものが薄っすらと見えた。
あれは何だと両足を水面に集中させ見上げた。
視界の先には、一筋の光が通っていた。
あそこだ。
妙に上がる期待感を観察しながら、一歩また一歩と足を水面に下ろしていく。
光が見えてから、五十歩ほど歩を進めてようやくそれは姿を表した。
そこには、長くてか細いはしごが、頑丈な石の壁に張り付いていた。
よし。
声に出さぬほどの、暗闇の感情の中で生まれた悦びだけを頼りに梯子へ向かった。
あれから短いようで、人生が終わってしまうかのような長過ぎる道のりを歩き終え、ついに梯子の前で右足を下ろした。
梯子に手をつける。
初めてこの梯子を見た時に抱いた無意識的な予感に反するかの如く、頑丈な手触りをした、木造りの梯子に、少しだけ安堵を抱いた。
よし、のぼろう。
僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ。
ここまできたんだ。
ただじゃ帰れない。
梯子に到達してからは、この道を自分に伝えた人型のことなど、薄れかけた記憶となっていた。
「カツカツカツ」
水面から離した身体は、頑丈な造りの梯子に身を寄せて登っていく。
光に手を引かれるように上へ向かい、梯子を登り切った先に見えた景色は、なんと下の世界と全く同じものであった。
真っ暗闇な水辺に、月光に照らされる大きな木。
その周りを囲む多様な雑草達。
そして、一本の白い花。
その花の前には、また赤い球体が浮かんでいた。
そこには「32」と記されていた。
男はまた水辺を歩き出し、赤い球体の数字が37を記した時、その横にある白い花は美しい5つの花弁を宿していた。
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