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感想「アリスとテレスのまぼろし工場」映画


※ネタバレあり


先日公開されたアニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』を観てきました。

あらすじとしては、小さな町の製鉄工場の爆発事故をきっかけに、時間が経過しなくなる不思議な世界の中に町ごと閉じ込められてしまった中学生の主人公達が奮闘するというお話。

なぜ時間が経過しないのか、謎の少女の正体は何なのか、主人公達の恋愛の行く末はどうなるのか、果たして主人公達は元の世界に戻れるのか、といった所が楽しむポイント。

今回、本編の解説や考察、詳しい内容等については省きます。ここでは、映画を観て思った感想を中心に書きたいと思います。


映画の中で、元の世界に戻りたい派と今の世界のままでいたい派との争いの中で、主人公達が葛藤する場面がありました。

この手の話では良くある展開ではあります。
自分がこの町の住人だとしたら、どっち派になるだろうか。

基本的には元に戻れる道があるのであれば、多少リスクはあっても挑戦したいとは思います。
戻れる可能性を捨ててまで、諦めて今の状態をそのまま続けるのは精神的に耐えられないのではないかと思います。

ただ、今回のケースでは、簡単に説明すると、主人公含む町の人たちは既に死んでいる状態に近く、実は現実世界は平行してそのまま時間が経過しているというような状況でした。

閉ざされた世界は爆発事故直前の状態が不思議な力で維持されているだけで、その世界が壊れると主人公達も一緒に消滅してしまうのです。だから『まぼろし』という表現のようです。

後に、現実世界は爆発後の世界線が続いていることが、空間のひび割れが起こることで覗き見れるため、主人公達はその事実に気付きました。

つまり、元の現実世界に戻ることは絶対に不可能なのです。

町の製鉄工場の代表は、このまま今の世界で永遠に暮らしていきたいと考える人間でした。

自分も元の現実世界に戻ろうとすると存在が消滅する=死ぬというのはとても怖く感じます。
既に事実上死んでいる状態であっても、それだったら、止まったままの世界の中で家族や友達と過ごす選択をするでしょう。

ただし厄介な制約もあります。今の世界に耐えられなくなったり、新しい心境の変化があったりすると、空間同様に身体にひび割れが起こります。
そして、現状を維持しようとする不思議な力が働き、製鉄工場から出る煙に包まれて消滅してしまうのです。

行くも地獄、戻るも地獄です。

もちろん死にたくは無い。存在が消えてしまうのはとても恐ろしいことです。
ただ果たして、永遠に変化の無い日常を送り続けることは生きてると言えるのだろうか。
生きるとはどういうことなのか。

結局、映画の中では大半の人間が閉ざされた世界を生きるという選択をすることになります。

様々な混乱や葛藤を乗り越えながら、謎の少女を助ける過程で、恋愛が成就した主人公達は今を生きるというマインドになっていました。
そして、「もういつ消失しても僕達は大丈夫さ!」という状態になっていました。

そういう意味では物語としてはハッピーエンドなのでしょう。元の世界に戻れないとしても、存在が消えるとしても、主人公達の心が救われたのなら幸いです。

改めて、生きるとはどういうことなのか。

今、自分は確かに存在し生きているんだと思えるマインドと、もういつでも消えても良いと思えるマインド。

この2つのマインドがバランス良く存在していると充実した人生を過ごしている=生きているということになるのかもしれませんね。

生きるということは、心が生きるということ。

それが、この映画の伝えたいメッセージの1つなのかなと観て思いました。

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