鮮やかに 柔らかに咲く

「おときさん、鰻食べる?」
来たよ、と声をかけると目を開き、
こそばゆいような笑みを浮かべた伯母に言った。
「鰻、遅くなったけど約束通り持ってきたぞ。」
おときさんは何やらごにょごにょつぶやく。
声を出そうにも強い痛み止めで力が出ないのだろう。
病魔に侵された体が、流石に鰻どころではなくなったらしい。
「食べらんない」と一言いえばいいものを、
こんな状況でも気を使って言い訳をしているらしい。
私が
「ふんふん、そっか。」というと、また目を閉じた。

体の清拭をするのでと、看護師さんにご退室を願われるまでしばし寝顔を眺めていた。
病室から出て今度は窓の外を眺めていると、
休日に行ったコンサートの話をする看護師さんたちの声が
静かな病室に活気を満たす。
病室を背にして立つ私に清拭を終えた看護師さんが
「薬が強くなったのでね。でも時々意識が戻ることもあるし。
今日はどうかなぁ。」
と申し訳なさそうに言う。
「大丈夫です、さっきも答えてくれたし。」
そう伝えると安心したような顔になった。
不意打ちの優しさに動揺し病室に戻ると、
あちこち刺激されて覚醒したのか顔を掻いているおときさんの手を制止した。
「どう、すっきりした?」
おときさんは、氷、と呟いた。
慌てて貰って来た氷と、吸い口の水を並べて
「お水もあるよ、お水と氷、どっちがいい?」
息しか漏れてこないような声でおときさんは
「みず」と呟いた。
吸い口をあてがうときゅう、と吸い込む。
この水が、発熱するおときさんの体を少しでも冷やしてくれることを願った。
飲み終えたおときさんが、顔を歪めて反り返る。
ベッドのアラームがピカピカし、看護師さんが来て痛み止めを点滴に流した。
「すぐに効きますからね、ときこさん。」
二人きりになると、看護師さんの言葉通り穏やかになったその人の頭をなぜた。

この責任感の強い人は、人生でどれだけ人に甘えられただろうか。
「おときさん頑張ったね、こんなに頑張ってくれてありがとう。」
そういうと
「ようちゃん、あんたにいっぱいいっぱい貰ったよ。ありがとう。」
という。
なんかあげったっけ?手紙のこと?
そう聞こうと思ったが
言葉の代わりに涙が、おときさんの枕元にぼとぼとと落ちた。
「こっちこそ、ありがとう。ほんとうにありがとう。大好きだよ。」
手の中でおときさんの細い指が私の指の間にゆるりと絡んだ。
おときさんは
ありがとう ありがとう  ありがとうありがとう
と穏やかに、満たされた子供みたいに繰り返す。

ねぇ、大好きだよ
私は思いつく限りの人たちの顔を思い浮かべ代弁した
ありがとう 
おときさんはいう

それから数日後おときさんは自由になった。
生きる道を模索し続け、これでいいのかと自分に問い続けるような
苦しい人生を

鮮やかな
優しさと言う、理屈や統計では説明できない花を
育み続けた人生を去った。

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