オスマン・トルコ帝国と日本/2

オスマン・トルコ帝国と日本/2
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」191/通算622 2023(令和5)/6/26/月】欧米は概ねキリスト教国である。キリスト教はユダヤ教から派生したのに、キリスト教以外の宗教は邪教であり、つい最近まで邪教の国や国民、民族は人間未満の蛮族だと思っていた。1960年代に米国がベトナムから尻尾を巻いて逃げ出して以降、「邪教の蛮族もどうやら人間らしい」と認知し始めたようである。それからまだ半世紀ほどしか経っていないから、キリスト教国、キリスト教徒は、他の宗教の信徒を心の底では蛮族、劣った民族と軽侮しているのではないか。

米国民主党の駐日本大使には「イルカを食べる日本人は蛮族だ」とか「日本はLGBTQの結婚を認めろ」という、「我こそ正義、それを受け入れない奴らは蛮族だ!」と訓戒をたれる、ほとんどGHQ占領軍みたいな人がいる。小生はこの手の輩を「アカに洗脳された○○、まるで立憲共産党と同類、つける薬なし、そのうち消えるだろう」と心の底から軽蔑している。

民族や国家にはそれぞれ多様な生き方、価値観、宗教、風習などがあるのだから、たとえ自分のそれとは違っていても「友達になりたい」なら余計な干渉はしないのがルールではないか。

「友達になりたくない」なら距離を置くとか断交すればいいが、キリスト教信者の多い国は概ね「広宣流布」が使命だと思っているから、やたらと他国に干渉する、チョッカイを出す、威嚇する、恫喝する、戦争を始める、領土を拡大する。キリスト教徒の十字軍はイスラム教を叩くために1096年から200年間も遠征・攻撃した。

時代錯誤も甚だしく1900年代にもオスマン・トルコ帝国絶滅に励んだ。まったくもって「○○につける薬なし」、まるで蛮族。この戦争で大活躍した「アラビアのロレンス」こと英国人トーマス・エドワード・ロレンスについてWIKIはこう紹介している。

<1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、イギリスも連合国の一員として参戦することになった。ロレンスは同年10月に召集を受け、イギリス陸軍省作戦部地図課、カイロ(エジプト)の陸軍情報部に勤務。軍用地図の作成に従事する一方で、語学力を活かし連絡係(諜報、情報収集?)を務めるようになった。

1916年10月には外務省管轄下のアラブ局に転属。この間にアラビア半島へ旅行し、オスマン帝国に対するアラブの反乱の指導者候補たちに会った。

情報将校としての任務を通じて、ロレンスはハーシム家当主フサイン・イブン・アリー(*)の三男ファイサル・イブン・フサイン(ファイサル1世、後のイラク国王)と接触する。

(*ハーシム家は19世紀初頭までイスラム教最大の聖地メッカ(アラビア半島)を支配してきた。フサイン・イブン・アリーは1908年にアミール=最高権威となり、第1次世界大戦中はオスマン帝国の支配に対するアラブの反乱で指導的役割を果たした。しかし、1919年のパリ講和会議で仏・英がシリア、パレスチナ、イラクを委任統治領化したことに抗議、1924年10月の退位後は英によってキプロス島に身柄を移された)

ロレンスはファイサル1世とその配下のゲリラ部隊に目をつけ、共闘を申し出た。そして、強大なオスマン帝国軍と正面から戦うのではなく、各地でゲリラ戦を行いヒジャーズ鉄道を破壊するという戦略を提案した。ヒジャーズ鉄道に対する絶えざる攻撃と破壊活動を続ければ、オスマン帝国軍は鉄道沿線に釘付けにされ、結果としてイギリス軍のスエズ運河防衛やパレスチナ進軍を助けることができるという目論見があった。

1917年、ロレンスとアラブ人の部隊は紅海北部の海岸の町アル・ワジュの攻略に成功。これによりオスマン帝国軍はメッカへの侵攻をあきらめ、メディナと鉄道沿線の拠点死守を選んだ。続いてロレンスはアカバに奇襲し陥落させた。この功により、ロレンスは少佐に昇進。1918年、ロレンスはダマスカス占領に重要な役割を果たしたとして中佐に昇進する・・・>

ロレンスの活躍もあって1918年、オスマン帝国など同盟国は連合国に降伏。オスマン帝国は国土の大半を英仏など連合国に占領された。

<このような(逆境の)混乱の中、オスマン帝国で頭角を現してきたのが、統一派(「統一と進歩委員会」)の一員でもあったムスタファ・ケマルです。大戦中、勢いに乗るイギリス軍の進撃をアナファルタルで食い止め、「アナファルタルの英雄」と呼ばれていました。

1920年4月、首都アンカラで「トルコ大国民議会」を結成し、上陸してきたギリシア軍を撃退します。1922年には「トルコ革命」を起こしてオスマン帝国を倒し、共和制を宣言。政教分離を国是とするトルコ共和国を建国しました>(ホンシェルジュ)

1918年に第一次世界大戦で敗北したオスマン・トルコ帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下に置かれ、事実上解体されていたようである。「敗戦→国体変革→復興」、日本を含めていずこの国も苦労したが、日本とトルコの絆(きずな)は1890年のエルトゥールル号遭難事件が縁となって今でも続いている。Forbesジャパン 2023/2/17「トルコはなぜ親日国なのか 大地震での助け合いも」から。

<日本時間の2月6日10時17分、トルコ南部を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。その9時間後にもマグニチュード7.5の地震が起きた。「この地域において100年間で最も強い地震の1つ」だと言われる。ロイター通信によるとトルコとシリアの両国を合わせると4万人以上の死者が出ている。このような状況を受け、欧米やウクライナ、ロシア、中国など世界各国からの支援表明があった。

日本も、6日の午後11時ごろに国際消防救助隊の第1陣が現地に向けて出発。第2陣もそれに続き7日に出発した。日本では「トルコを救いたい」という声が多く上がっており、信頼関係の強さが感じられる。2012年に外務省が行った調査では、トルコ人の83.2%がトルコと日本の関係を「友好関係にある」「どちらかというと友好関係にある」と回答した。

【イラン・イラク戦争時に日本人を救出】1985年のイラン・イラク戦争。当時のイラク大統領は、イラン上空を通る飛行機を無差別に撃退すると宣言し、多くの日本人がイランに取り残された。日本政府が救援策を打ち出せず悩んでいる中で、危険を顧みず日本人を助けに行ったのがトルコだった。「エルトゥールル号の時に受けた恩を返す」との思いで日本人を助けに向かったという。

【両国の大地震での助け合い】1999年、トルコ北西部で地震が起こった際、最も迅速で包括的な支援を行った国の1つが日本だった。

トルコはその恩を返すために、2011年の東日本大震災では合計で32名の方が日本を訪れ、約3週間の間、主に行方不明者の捜索を行った。このように、日本とトルコは、一方が困っているときにはもう一方が助けてきたのである。
このような背景を知れば「トルコを助けたい!」という考えに、より強く共感できるだろう。19世紀末から始まった支え合いの関係性を、大切にしたい>

小生も大いに賛同する。が、エルドアン政権は20年プラス5年の長期政権になる。中露という核武装した強権独裁共産主義国が版図を拡大し世界制覇を狙っている今、エルドアン・トルコは「東西のバランサー」としての役割が期待されているが、あまりにも難しい問題のために小生は「大丈夫だろうか」という不安を覚える。西側陣営は概ねそのようだ。

村上直久氏(時事総研客員研究員、学術博士/東京外国語大学)の「西側の対トルコ関係改善か」日経2023/6/18にはこうある。

<5月末に行われた、地域大国トルコの大統領選・決選投票でエルドアン氏が勝利した。薄氷の勝利だったが、エルドアン政権は外交面ではトルコもメンバーである北大西洋条約機構(NATO)への忠誠とロシアへの経済的依存をいかにバランスさせていくかという難しいかじ取りを引き続き迫られる。

こうした中、エルドアン政権の権威主義的な姿勢に反発してきた西側では、大統領選が終わったことで「トルコとの関係改善」を期待する向きもある。トルコはスウェーデンのNATOへの新規加盟に反対し米欧と一線を画してきたが、反対を取り下げるとの見方も出てきた。一方、トルコの欧州連合(EU)加盟問題での進展は望めそうもない。

西側はエルドアン政権の強権的姿勢に反発してきたが、同政権の継続は否定的な側面ばかりではなく「恩恵をもたらす」(米紙ニューヨークタイムズ)可能性もあるとみているようだ。米議会ではエルドアン政権のロシアとの緊密な関係や少数民族クルド人勢力に対する弾圧への反発が強い。

トルコはNATOの一員だが、ロシアにエネルギー供給や貿易、ハードカレンシー(国際的に信用が高い決済通貨)の調達で依存しており、西側とロシアの間で綱渡りをしているような存在だ。

トルコは西側の対ロ制裁には加わっていないが、ウクライナにはドローン(無人機)を提供。ロシアがウクライナの穀物輸出を妨害している問題では、トルコは国連とともに仲介の労を取っている。

トルコはロシアとウクライナの双方とパイプがあり、今後、ウクライナ戦争で停戦交渉が開始されれば重要なプレイヤーになることは確実とみられる。西側にとって無視できない存在なのだ。

EUはトルコと協力すべき分野では協力している。EUにトルコ経由で押し寄せる難民・移民問題への対応がその一例だ。2015年の100万人を超える大量の難民流入で苦境に陥ったEUはトルコ政府に多額のお金を支払う見返りに、難民をトルコ国内にとどめ、地中海を渡ってのギリシャ流入をストップする“取引”を当時のエルドアン政権と行ったことが挙げられよう。

今回のトルコ大統領選で、エルドアン政権は僅差ながら決選投票で勝利したことで、国民の信任を得たと考えており、国内では保守化の傾向を強めるだろう。対外政策では民族主義的な傾向を基調としながらも、国益増進のために西側とロシアの間でしたたかに立ち回るものとみられる。

国際情勢のリスクを分析するユーラシアグループのエムリー・ピーカー氏は「トルコの米国およびEUとの関係は緊張をはらんだ(ギブ&テークの)取引べースの関係が続くだろう」とニューヨークタイムスに語った。ウクライナ戦争が続く中で、今後のトルコと西側の関係から目が離せない>

混沌とした世界。エルドアンは政教分離を止めて「オスマン帝国復活」を目指しているようだったが、先の選挙で苦戦したため暫くは封印するようだ。「大日本帝国復活」(米国の51番目の州ではなく普通の国になること)も対中露戦に勝ってからになるかも知れない。まずは全力を挙げて「悪の枢軸・中露解体」に励もう。

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