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突然YouTubeを始めた話。
「‘’変わってる‘’ってなんだろう」
人ってみな、他の人とは変わってるだろうから、‘’変わってる人‘’って不思議な言葉だな。と思う今日この頃です。
最近僕はそう言われるのだけど、今までは言われてきた気がしない。
誰もが持つ内面に閉じ込めてる‘’変わってる‘’部分を表に出すようになったからなのかなと、なんとなく思ったりしてます。
もしそうなのだとしたら、表に出るようになったそのきっかけは、YouTube活動なのかな。
こんにちは!今年からYouTubeで野球実況をしています、ハムショーです。
前回は自己紹介記事を書きましたが、今回は活動日記を書いていきます。
前回の自己紹介記事です。
まずは初めましてのあなたへ向けた簡単な自己紹介から。
・プロフィール
札幌出身23歳です。日本ハムファイターズファンです。今年の3月下旬・YouTube配信からプロのスポーツ実況アナウンサーを目指そうと決心しました。現在はチャンネル登録者数が8000人を超え、年内1万人を目標に活動中です。
今回は、突如始まった最初のYouTube配信をメインにお話を進めていきます。
たった4ヶ月前とは、信じられないな…。
・数時間前に決まった初回配信
桜の開花がとても早かった2022年春。
大学の卒業式が終わり、学生証の有効期限もあと少しとなっていた。
「カラオケの学割が…ゴンチャの学割も…」
この切符をなくす事に対して、前はそんな懸念が頭をよぎっていたが、その時が現実を帯びて近づくと頭にそれはなかったと今は思う。
どちらかといえば活発だった学生からしがなきフリーターへの社会的グレードダウン。
風速数メートルのほのかに体に感じる風が、常に心に走るような焦燥感に襲われる日々だった。
一人では活力も出ず、高校時代・大学時代の友人に会う日々を送っていた。
会話の始まりは大抵どの友人でも一緒だ。
昔話やいつもの身内ネタを繰り広げてから本題に入る。
「〇〇はどこに入るんだっけ?」
僕以外皆就職。
ここまで社会から引かれたレールの上で走り、中学・高校・大学とそれなりの道を歩んだんだから当たり前の話だ。
急に社会のレールから外れた僕。焦りを取り払うために人と会う時間で、返って焦りを生み出していた。
それでも、実況アナウンサーではなく他の道に就職という選択肢は出てこなかった。夢に走り出す、あと一押しが欲しい、そんな時だった。
3月25日、プロ野球開幕戦。
僕が幼少期を過ごした北海道のチーム、北海道日本ハムファイターズは、新庄が監督に就任した。
監督就任会見で「今日からビッグボスと呼んでね」なんて言っていた我らが新庄。
最初は違和感があったがすっかり定着。世間にも「ビッグボス」という呼び名で通じるようになっていた。
高校時代まで過ごした北海道から大学に入るため上京した僕。同じ頃に上京してきた気の知れた友人と、その日は昼から焼肉を食らっていた。
彼も同じくファイターズファン、今季の成績やビッグボスの話に花を咲かせる。
服には特有の匂いがすっかり染み付き、肉の油が滴り火が燃え上がっても尚お皿に肉を入れるのが億劫になってきた腹八分目の終盤戦で、ふと言葉がでた。
僕「今日の開幕戦YouTubeとかで実況したら伸びるかな?笑」
友人「あー、あり」
会話は成り立ってない。
ただ、始めるきっかけには十分だった。
思い返せばその友人は、大抵ありというのだけども。それを求めてたのかもしれない。
気づけば約1時間の電車移動が終わり、僕の家に二人。古びた奥底のパソコンを起動した。
機械に疎いが始めると決めたからにはすぐに発声練習をしてる僕。
機械に強く黙々と準備を進めてくれる友人。
阿吽の呼吸だ。
気がつけば試合開始10分前。急遽買った2000円のマイクに声を乗せ、配信が始まった。久々の高揚感が確かにそこに、1K6畳の空間にあった。
「5人聴いてたらすごいよね?」「3人でもすごくね?」
そんな会話をしていた10分後には、リスナーを表すシルエットの横に2桁の数字が灯る。ただでさえ期待高まる開幕戦。そこにビッグボス効果もあればその注目度は伊達じゃないなと肌で感じた。
気持ちは既にスポーツ実況アナウンサー。
苦楽を共にし、局に受かった人より一足も二足も早いまさかの「同期一番乗り」
野球ファン歴18年の記憶と数年間のアナウンススクールでの実況練習を頼りに行った3時間54分の「実況デビュー」
試合はリードで迎えた8回裏に満塁ホームランを打たれ、ファイターズが敗戦した。
劇的試合展開を届けた配信は、9人のチャンネル登録者というなんとも野球らしい証を残して終わった。
・2日目、早くも機械トラブル
「配信聴いたよ!よかったじゃん!」「実況うまくてびっくり」
深夜から朝にかけて友人から送られてきたそのメッセージは、確かな手応えと「プロ第一号打った選手の翌日ってこんな感じ…?」という妄想巡るものだった。
前日の反省と2日目の配信に向けた発声練習を終え、意気揚々とノートパソコンの前に座る試合開始15分前。
昨日より5分早く放送を始めようとしたところに、無意識のうちの前日の自信が垣間見える。
「こんにちはこんばんは!」
70dBの声の響きがこだまする空間。しかしそれは、そう長く続かなかった。
(70dBという数字が今後の悲劇を招くことをまだ知らない)
「声が途切れます…」「聞こえないです」
前日にリスナーからいただいたチャットの数を超える勢いでくるトラブルのチャット。1人ではどうも解決できない。
声をいくら張っても配信上に暗黙が続く中、ファイターズが2回に先制点を許す裏でひっそりと配信を畳んだ。
友人にすぐ電話した。
僕「聴いてた?配信止まった。家の回線悪いのかも…。」
友人「それもあるけどおそらくパソコンのスペック不足」
聴いてた?に対する答えがないあたり、さすがだ。それから試合が終わるその前に、1Kに2人。昨日と同じ空間が広がった。
友人「昨日はパソコンも応援してたんじゃね?これで昨日最後まで持ったの奇跡だよ。」
時は無常。6年前の最先端は、今や時代遅れだった。なんの実績もないまま、パソコンの買い替えを余儀なくされた。
・予算の倍、未来への自己投資
僕「5万…くらい…、?」
友人「求めるスペックによる」
3月は引っ越しもあり新生活でお金を使い、余裕はなかった。
今まで躊躇なく行っていた飲みの誘いを、初めて金銭面を理由に迷うくらいに。(結局は行く)
だから、急な出費は重たかった。
自分ではよくわからないスペックを眺めながらなんとなく良さそうなものを見つけては、友人に送る。ここがダメだと言われる。だんだん理解する。
その工程を3日ほど繰り返した時、必要なスペックを自分でも理解した。
ただ、理解したくはなかった。
倍だった。予算の。
そこから渋る期間を1日経て、ポチった。今までで1番の額の買い物だった。
クレジットカード会社から今までにない高額商品の購入のため、利用が制限されるほどだった。
気が引き締まる、という感情はこれなんだろうなと思った。
今までは高いものを買う時、ご褒美で自分に何かを買うことはあった。ゲーム・ゲーム・ゲーム…買ったものはいいとして、成果を残した後に買っていた。
ただ今回は、人生で初めて未来の自分に向けて自分で買った。
未来への自己投資、だ。
パソコンを買った翌日、4月3日。
日曜日のデーゲーム、ファイターズ対バファローズ戦で、僕は‘’2度目のデビュー配信‘’を行った。
高揚感は薄かったけど、一つの配信への刹那的感覚は、すごく高かった。そんな気がした。
次回はその後の配信で、
始めたてのYouTuberには到底訪れないことが起きてしまった話
をメインに書いていきます。
またよろしくお願いします!
P.S.
最後まで読んでいただいたファイターズファン・プロ野球ファンのあなたへ。
ありがとうございます。
チャンネルを下記に添付します。僕の実況と共に、ファイターズを・野球を応援する仲間がたくさんいます。
興味が湧いた方はぜひチャンネル登録よろしくお願いいたします。
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