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【自戒】私が石丸伸二氏にのめり込んでいた理由

はじめに

 自身が石丸伸二氏(以下基本的に、石丸氏)を知るきっかけとなったのは、有名な「恥を知れ」発言である。

 自身は広島県広島市で生まれ育ち、大学進学を機に神戸に引っ越したのだが、この発言が報道されて話題となった2022年6月は大学3年生であった。YouTubeで見た、ベテラン議員に臆せず対峙している地元の若き市長が、当時の私の目には「ヒーロー」のように写った。
 その後2023年秋頃からは、市長の「切り抜き動画」が大量に公開された。私自身も「石丸信者」の1人として動画を見漁ったものである。
 先の東京都知事選の期間中も、連日熱心に情報を追った。

 しかし、自身の石丸氏への見方が変わったタイミングがある。それは、選挙の投開票結果が発表された翌日である。開票後インタビューなどでの質問に対して「何という愚問ですか」「何度も申し上げた」などと難癖をつける姿を見て、素直に応援する気が失せてしまった
 勿論、石丸氏の態度も理解できる。選挙期間中は小池百合子と蓮舫ばかり取り上げていたテレビ局が、選挙結果が出た途端に急に押し寄せてきたのである(しかも落選した人間に)。また「質の低い」質問も多く見受けられ、石丸氏にとっては不愉快なものであったことは想像できる。また、石丸氏も単に感情に任せてあのようなぶっきら棒な態度をとっているわけではない。かねてより氏が指摘している「メディアの偏向報道」への対抗策として、敢えて毅然とした対応をしているのであれば、その姿勢は評価されるべきであろう。
 ただ単純に、あのような受け答えを見せられては、「この人を応援したい」とは素直に思えなくなったのである。もし選挙運動中からテレビで取り上げていたら、2位に躍進するほどの票数を得ることはできなかったのでは?とすら感じる。(戦略的に行動する人であるため、選挙期間中は温和に振舞っていたかもしれないが)

 そこで、なぜ一時期の自分は石丸氏を熱心に支持していたのかを検討したい。
 まず大きく2つの要因があると考えた。
 それは、①石丸氏のカリスマ性②ネットの情報の偏り、である。
 ①は、つまり石丸氏自身の発信力やスター性によって、私は同氏に夢中になったというものである。今後そのようなカリスマ性を持った人物に出会ったら、宗教や詐欺などに引っかかってしまうのではないかと感じた。
 ②については、単に石丸氏自体の魅力だけでなく、それを取り上げたYouTubeやSNSによって扇動されたのではないかと考えた。
 よって、当時の自分を「①宗教にはまる人の特徴」と「②ネット情報に、つい騙される人の特徴」に当てはめてみる。

「宗教にはまる人」の特徴への当てはめ

 以下のサイトで挙げられている「宗教にはまる人の特徴」を用いる。断っておくが、決して宗教を信じること自体を悪いとは思わない。判断力を欠いた状態で、盲信・依存してしまうことを恐れているのである。

真面目で純粋な人

 疑う心がなく、何でもかんでも「凄い」と思う人のことをいう。
 切り抜き動画においては、「石丸氏vs市議会議員(主に清志会所属議員)」または「石丸氏vsメディア(中国新聞)」の構図を意図して編集されている。私は無意識的に「石丸氏側の意見が正しい」と思い込んでいた節がある。
 本来、どちらの言い分が正しいのかという判断は、両者の意見を踏まえて中立的に判断しなければならないはずである。しかし、議論の内容をすべて正しく理解することは、20代前半の学生である自分には中々難しい部分がある。そうなれば、「京大卒」「三菱UFJ銀行」「ニューヨーク駐在」という輝かしい肩書き・経歴が決定打となり石丸氏の支持側に回ることになる。
 そもそも世の中には、「どちらが正しい」と二者択一的に決められないことも多いであろう。議会での議論ならまだしも、記者会見の場で新聞社を論破し、周りがその「勝ち負け」を決める必要が、果たしてあるのだろうか。
 結局、議論の中身を精査することなく、「石丸さんが言うことが正しい」と、人ありきで判断していたのだ。

信じるものがない

 私は元々政治に関心がある人間ではない。知らないといけないとは思っていても、小難しいし敷居が高いと感じていた。よって、支持政党もないし、応援している政治家も他にいない。つまり、「政治家」「首長」という人間を石丸伸二しか知らないのだ。
 政治および政治家に関する知識が皆無の状態で、石丸氏の情報ばかり摂取していると、自然と石丸氏の発言を盲信してしまうのである。

 先の都知事選において、10代・20代の得票率では石丸氏がトップであった。そして、その内訳は「無党派層」が多くを占めていたとの報道を目にした。
 私自身が「無党派層」であるわけだが、意思を持って「無党派」の立場をとっている人がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、敢えて「選ばない」のではなく、分からないから「選べない」のであり、その結果「無党派層」にカテゴライズされるわけである。
 つまり、政治家を評価するために必要な知識を全く持ち合わせていない状態で、ただ1人の政治家の発言ばかり受信しているのだから、偏った見方をしてしまっても致し方ない。
 結局私は「政治に興味をもった」のではなく、所詮「石丸伸二に興味をもった」だけだった。

「ネット情報に、つい騙される人」の特徴への当てはめ

 参考にしたサイトは、本項の1番下部に示している。

「肩書」で正しい情報と決めつけてしまう

 先述したとおりであるが、「切り抜き動画」の多くは石丸氏の経歴の凄さを前面に押し出している。タイトルやサムネイル等により、「エリート・石丸さんが正しい」という先入観を持った状態で動画を再生するのである。

 その最たる例が、「住民アンケート調査」の実施方法の良否について、1人の議員と議論している様子を切り抜いた動画であろう。
 石丸氏は前職が経済分析のアナリストであったから、石丸氏を「統計の専門家」として動画内で扱うこと自体には特段問題ないと思える。
 しかし、質問議員があたかも「無能」「無知」であるかのような表現が随所に見受けられたことは無視できない。
 確かに「統計学」に関してはアマチュアであっても、長年安芸高田市で議員をしており、政治家としての経験・知見を有していることは事実である。また、当該議員がまるで「無学」かのような扱いが動画内でされているが、当該議員も広島大学の大学院を修了している。

 そして、統計学の「専門家」の言うことの方が正しい、という考え方は政治の世界においては浅はかでないか。所謂「専門家」とは、大学教授や博士号取得者または実務者のこと等を指すのであろうが、政治とは、これらの人達の知見を取り入れながらも最終的には「政治家」が種々の事情を勘案し、国民ないしはその地域住民にとって最善の意思決定を行うものではないかと思っている。

「1カ所だけの情報」で物事を判断してしまう

 堀 治喜氏著『虚像 石丸伸二研究』(文工舎、2024)では、「選挙ポスター未払い裁判」の傍聴者が少なかったことが指摘されている。YouTubeの登録者数や再生回数、SNSのフォロワー数などからは、相当な人数が石丸氏に関心を抱いていることが窺える。それにも関わらず、なぜ同裁判には傍聴者がほとんど集まらなかったのであろうか。単純に広島までの距離が遠いということもあろうが、以下のような理由も考えられる。

 それは、敬愛する人物の悪評(不祥事)に目を瞑りたいという心理である。それだけでなく、YouTube上の動画等は、石丸氏をヒーローに仕立て上げるための恣意的な切り取りがなされている。そのため支持者の一部は、石丸氏のこの「疑惑」自体を知らなかった可能性がある。

「偏った情報」ばかり見てしまう

 「切り抜き動画」は石丸氏を「ヒーロー」、議員やメディアを「悪役」に見立てた編集であることは無視できないであろう。
 投稿者の本当の意図は分からないが、単純に再生数を稼げるから投稿している可能性がある。つまり、投稿者自身が本当に石丸氏を支持しているかどうかに関係なく、ビジネスとして、「需要」に応えられるような編集を施している可能性もある。よって、石丸氏の発言や人柄自体ではなく、各動画の投稿主の「編集」に心掴まれていたに過ぎないとも言えるのではないか。

 石丸氏の指摘するとおり、テレビや新聞等などの「メディアの偏向報道」があることは事実であろう。しかし、情報伝達の覇権がYouTubeを含むSNSに移ったことにより、「新しいメディア」においても旧態依然とした偏向報道がされるようになった、というのが現状であろう。

 そもそも議会の切り抜き動画は手放しに許容されるものではない。(「政治のエンタメ化」を掲げる石丸元市長により許容されていたが)。よって、市議などが議会中継の配信停止の要望、質問の取り下げに至ることも理解できる。事実、脅迫事案なども起こっていたわけで、単に「責任逃れ」と議員を安直に非難することはできない。

「公開されていない秘密の情報」を信じてしまう

 「居眠り恫喝問題」に当てはめてみる。石丸氏は、非公開の全員協議会にて「恫喝」を受けたことをTwitter(当時)で明らかにした。これこそ「公開されていない秘密の情報」に該当すると考えられる。
 「非公開の議論」と聞くと、何だか閉鎖的で陰気臭い印象を受ける。この「秘密の情報」を提供された側は、不思議と「秘密を打ち明けた人」に対して信頼を抱き、ついには「正義のヒーロー」であるかのように感じてしまう。
 この件は裁判所に付託されているのであり、司法の判断を冷静に受け止めねばならない。

「知り合いが勧めた情報」を鵜呑みにしてしまう

 切り抜き動画の「コメント欄」はほとんどが石丸氏を礼賛するもので溢れかえっていた。石丸氏を応援している人達や、議員らが論破される姿を見たい人が動画を再生するのだから当然のことであろう。その偏ったコミュニティにおける「コメント」を「世間の声」であると勘違いしてしまう。
 そもそも「石丸擁護派」を誘き寄せるために動画タイトルやサムネに工夫を凝らしているのだし、また、批判的なコメントは削除することができる。

 また、市長在任時に最も尊重されるべきは、当然安芸高田市民の声である。安芸高田市の人口は2万人程度であるにもかかわらず、石丸氏のXのフォロワーは50万人を超える(2024年8月30日現在)。つまり、石丸氏の支持者のほとんどは言うなれば外様の人間である。それらの人間によって、実際にそこで生活を営む住民の声が消されることはあってはならない。

 しかし、市長の後任には「反・石丸氏」を唱える候補者が当選した。少なくとも、これが安芸高田市民の本意なのである。
 これに対して、外野が「安芸高田は老人ばかりだから」などと文句を言う権利はない。

おわりに

 以上、私が石丸伸二氏に魅了されていた理由を考察した。
 当然、石丸氏にも尊敬、評価すべき点はあるとは思っている。また、全くと言っていいほど政治に興味がなかった自分を、その入口に連れて行ってくれた点では感謝している。彼の標榜する「政治のエンタメ化」も日本の将来の為には必要な手段だと思う。
 念の為断っておくが、当記事において、石丸氏自身やその政治手腕、および石丸氏の支持者を批判するつもりは一切ない。

 本記事の目的は、①発言している「人」で、その発言の良否を判断すること、②全ての物事を「0か100か」「善か悪か」の二者択一として捉えること、③メディアの情報を素直に受け取ること、の危険性を自分自身が認識することである。表面的なものに踊らされるのでなく、「是々非々」で冷静に物事をみるようにしたい。





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