さくら

言葉を綴りたくなった今日この頃。 *音楽*読書*舞台*作曲*自然*生き物*心の話*et…

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言葉を綴りたくなった今日この頃。 *音楽*読書*舞台*作曲*自然*生き物*心の話*etc…

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映画「夜明けのすべて」と私〜PMSとコロナ後遺症〜

※映画の話もしていますが、私自身の話が多めです。PMSとコロナ後遺症のことに触れています。 今、映画「夜明けのすべて」を映画館で観てきた。 5回目の鑑賞にしてやっと、頓服を服用せずに観ることができた。 ずっと自分自身のためにも書きたいなぁと思っていたことをこの勢いで書いてみる。 映画「夜明けのすべて」は、PMS(月経前症候群)による苛立ちやめまいなどに悩む藤沢さんと、パニック障害を患う山添くんのお話。2人は同僚なのだが、少しずつ相手を知り関わりを深めていくなかで友達でも恋

    • Nちゃんとガーネットクロウ(GARNET CROW)

      せっかく時間あるから今からスコーンを作ろう。そう思ってレシピを確認しながらふと思った。ついでになんか音楽でもかけよう。何の曲でテンションをあげようか、とごそごそとMDを漁った。私の青春時代はまさにMDの時代のだった。吹奏楽のCDを録音したものがほとんどだが、その中にいくつか異色のMDも眠っている。 やっと見つけた。MDの表にはこう書いてある。 『ガーネットクロウ』 ガーネットクロウ(GARNET CROW)は男女4人組バンド。残念ながら、2013年に解散してしまった。

      • 「精神科」ってこんなところでした×3〜土曜ドラマ「Shrink」を受けて〜

        NHKで放送されている土曜ドラマ「Shrink」の第一話を見た。第一話のテーマは「パニック症」。 「パニック障害」という名前で私は認識していたが、最近は、治らないものという意識の強い「障害」をいう言葉をやめ、花粉症、感染症というように使われている「症」=一時的にその状態であるということを指す言葉を使う流れがあるそうだ。 精神科医の弱井先生(中村倫也)と看護師の雨宮さん(土屋太鳳)を中心に二話、三話と一つずつ違う病気をテーマにしてすすめられていく。 精神科医、心療内科というの

        • 他人の幸せを願うことができない。

          他人の幸せを素直に願うことができない。 私はそんな自分が時折嫌になる。 決して不幸を願っているということではない。ただ他の人の幸せを見て、聞いて、知って、その事実になかなか肯定的な感情が芽生えない自分がいる。 「結婚おめでとう!末永くお幸せに。」 とは実際あまり思えていない。顔を知っているあの人が、時には仲の良いあのお友達が、自分より幸せな感情を今抱いているという事実を受け入れるのを私の心が拒んでしまう。もちろん「離婚すればいいのに」なんていう不幸を願う感情も微塵も

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        映画「夜明けのすべて」と私〜PMSとコロナ後遺症〜

          「好きなことがあるって羨ましい」〜私と音楽〜

          中学生の頃、日々の日記を書いて担任の先生へ提出する「生活の記録」という冊子があった。物好きな私は、担任の先生に書くだけでは飽き足らず、級外(担任を持っておらず、学年全体を指導する)の先生にも別のノートに綴ったものを提出していた。 ある日、その日記に部活動でやっていた吹奏楽(クラリネット)への熱い思いを綴っていた私に、先生はこうコメントした。 「好きなことがあるってとても羨ましい。素敵なことだよ」 当時の私はこう思った。 「好きなことくらい誰にだってあるだろう。羨ましい

          「好きなことがあるって羨ましい」〜私と音楽〜

          朝を迎える

          朝4:30。鳥の声が聞こえだす。朝だ。淡い水色の空が少しずつくっきりと色を見せ始める。 心のバランスが崩れた時、真っ先に狂いだすのが睡眠リズムだ。昨日も昼過ぎまで12時間も寝てしまった。おかげさまで夜寝付けず今に至る。 夜の存在が苦手な日もあれば、夜の存在に安堵する日もある。同様に朝の訪れに不安感を抱く日もあれば、朝を待ち遠しく感じる日もある。 今日の朝は穏やかな心持ちで迎えた朝だった。ちゃんと朝はやってきた。灰色の世界の中で右にも左にも進めなくなりそうな私の心にも朝が

          朝を迎える

          忘れられないあの付箋

          8年ほど前のことだ。職場の研修の一環で、4〜5人のグループとなりお互いの良いところを付箋に書いて手渡すという活動をしたことがある。 そのころの私は職場では殻にこもり、自分ではない自分を演じていた。自分の意見はなかなか言えなかった。趣味の話もほとんどしなかった。とにかく荒波を極力立てないように、責任を負わないように可能な限り静かに生きていた。職場での自分とプライベートの自分を完全にわけて生きていた。 そのグループワークの中で、「私の良いところ」のかかれた付箋が数人から手渡さ

          忘れられないあの付箋

          日々の楽しみ 〜イソヒヨドリがやってきた〜

          最近帰宅すると楽しみにしていることがある。 家に入る前に 玄関横の軒下を見上げることだ。 17:45よりも早い帰宅の時には出会えない。 17:45を過ぎると毎日そこに存在する。 ある夜、私よりも後に帰宅した家族から 「軒下に鳥が止まってるよ」 と教えてもらった。 すぐに見に行くと小さなハトのようなシルエットが じっとそこに座っていた。 私たちが見つめていても一切動じず つぶらな瞳で堂々とそこに居座っていた。 巣を作っているわけでもない。 ただ軒下に張り出している木の上に で

          日々の楽しみ 〜イソヒヨドリがやってきた〜

          芸術と「距離」。「推し」ができて…

          「推し」 というものが私の中で誕生してから 思うことがある。 それは、芸術が人生で占める割合について。 私の「推し」は歌に演技に大忙しの人だ。 そんな彼女の姿を見るべく、 東へ、西へ、(おそらく時に海を越えて) ファンたちは右往左往する。 生で触れる芸術は良い。 画面越しや誌面越しに見るものとは違い、 生きた芸術として心に届く。 形として残らないものだからこそ、 その姿を、その声を脳裏に焼き付けようと 心も研ぎ澄まされる。 そして豊かな感情とともに その地をあとに帰

          芸術と「距離」。「推し」ができて…

          思考は消える。だから始めた。

           頭の中で言葉が溢れてとまらない時がある。手にはスマートフォン、画面にはパズルゲームが映し出され、右手の人差し指はサクサクと動いているにも関わらず、心はそこにない。誰かに語りたい、だが口に出すことで止まってしまいそうな言葉の数々が蛇口から流れる水のように頭の中で溢れ出ている。  ある日、寝るために床についたというのにまるで寝られなくなった時があった。なぜなら頭の中でファンレターが完成してしまったからである。その日行ったアーティストのライブに大変な感銘を受け、興奮状態にあった

          思考は消える。だから始めた。