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落下の解剖学 考察

このノートははネタバレを含みます。

・前書き
ミステリーだと思って見に行った方、なんだか釈然としない気持ちを抱えているんじゃないでしょうか?
かく言う私も釈然としないままエンディングを迎えましたが「モヤモヤしたまま帰ってたまるか」と私の脳が亜音速で回転し、イカズチの如く一つの答えを導きだしました。
今回、みなさんの疑問「実際母親は殺したの?」に私がイカズチを落とそうと思います。

※1度見ただけなので役の名前をほとんど覚えていません。登場人物を母親、父親、息子、犬と表記させていただきます。

・結局殺したの?
結論から申しますと『殺していない』と思います。
結論に至ったわけを順を追って説明していきます。

・監督の描きたいこと
「落下の解剖学」では真実が見えにくく描かれています。劇中のセリフにもあった通り『何が真実か分からないときは心で真実を決めるしかない』が映画を通してキーワードになっており、殺したかどうかも真相は分かりません。
しかし、監督は明確に「殺していない」という描き方をしていると感じました。以下に根拠を挙げていきます。

・犬と父親はオーバーラップしている
犬は作中を通して息子を庇護する存在として描かれています。どんなシーンでも「息子いるところに犬あり」と言わんばかりに必ずセットでした。
父親も息子の面倒のほとんど見ていたことが証拠音声から分かり、こちらも庇護者として描かれています。
さらに、息子の最後の証言で『父親が自分と犬を重ねた発言をした』と明らかになりました。私はこれがこの映画のタネあかしだと感じました。実際、無罪を決定づける証言だったことから監督もこの証言を重要なものとして描いていると思います。

でもそれだけでは殺してないとは断言できませんよね。
私が「殺してない」と確信したのは最後のシーンでした。
最後のシーンを簡単に言うと『犬が母親に添い寝する』です。これまで母親と犬のシーンは全くと言っていいほどありませんでした。なのに最後の最後で母親と犬のシーンが描かれたんです。これは何か大きな意味を感じざるを得ません。
直前のシーンで母親と息子は裁判後に初めて再会し抱き合います。この時、母親が上、息子が下になり、母親は泣き、息子は泣いていません。(曖昧間違っていたらすみません)
私はこのシーンが表していることは『息子が裁判を通して成長し独立した1人の人間になったこと』を表していると感じました。だから犬(父親)は(これまでのような徹底した)庇護の対象ではなくなった息子を離れ、精神をすり減らした母親の元へ行った、と考えました。
もし母親が父親を殺していたら母親と添い寝しますでしょうか?しませんよね。

以上が私が「殺していない」と考える根拠です。
私の深読みに付き合っていただきありがとうございます。
反論やご意見いただけると嬉しいです。

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