結局のところ、女性は働きやすくなったの?

高年齢者雇用安定法によって、それまでは60歳になったら「はい!定年です!お疲れ様でした!」だったのが、65歳までは希望すれば働けますよ!になって、あれこれ気づいたことがある。

雇用機会均等法も介護・育児休業法もなく、オンナはクリスマスケーキだのとせかされ寿退社当たり前、その後妊娠までは何とか勤められたとしてもおめでた退職は規定路線、保育園に入れて働き続けるなんて、教員や看護師、医師、弁護士、キャリア公務員などなど「世の中に意義のある仕事」じゃなければ「子供のことを考えず、自分のことしか考えていない鬼母」扱いされた我々。3歳児神話なんてのもありました。でも実際世間的に良いおかーさんになろうと思ったら、M型雇用で、子育て後にはパートタイム就労しかないなんて現実に打ちのめされた友人も多々いた。

さて、そんなこんなで35年。今や総合職や一般職なんて区切りもあるのかないのか、男女で初任給に差をつけてはならん、性別限定の募集をしてはならんなど、いろいろな制度ができ、さらには育休で子どもが1歳になるまではお休みもとれるし、復帰したら本人が希望しない限り配置換えもしないようになどなど、いろいろな制度ができました。

でも、会社の若い子たちをみていると、とても「自由」になったとは思えない。

結婚したら、妊娠したら、赤ちゃん生まれたら、問答無用に「家庭に入れ!」言われ、一生独身で仕事にまい進か専業主婦(子どもが大きくなったらパートで小遣い稼ぎ)の2択しかなかった我々世代。

「辞めなくてよくなったんだからいいじゃん」と思っていたのだけど、今回65歳まで働く選択できますよと言われながらも、その手前で辞めることにしたら、なんとなくだけど「自由の不自由さ」がわかるようになった気がする。

育休にしろ定年延長(再雇用)にしろ、それは「働き続けられる選択肢」だったはずが、それを示されたことで、続ける選択をしないと「続けられるのに続けなかった人」になってしまうんじゃないかと。
他からどう見られようと私は良いのだが、自分自身でも「続けられたのに続けなかった」という思いはどうしても抜けない。

女性の働き方にしろ、制度が整っていくと「やろうと思えばやれる」状態になる。
一生独身バリキャリか子どもを持つ人生かの2択だった私たち世代の中で、子どもも仕事もキャリアもなんてやろうと思ったら、もう記憶ないぐらい無茶苦茶だった。だから1年休めるならいいじゃん、さらに時短勤務だってできるんだよと思った。
それがなかったころは、実はおかーさんで会社で働き続けようと思うと、2ヵ月で完全復職しないとダメだったから。時短勤務なんてもちろんない。
男性の育児参加なんぞ夢の夢だったから、ワンオペなんて当たり前。

24時間営業のスーパーなんてなかったし、冷蔵庫に何にもないかつ仕事で疲れ果てた日に赤ん坊抱いて持ち帰り弁当屋に並んでいようものなら、「なんだこいつ?」という目で見られたなぁ。
そういえば、大変そうなそぶりでも見せようものなら、「あなたそんな苦労してまで続けなきゃいけない仕事してるの?」って言われたっけ。いや、その仕事させてるのあなたですよ・・・

派遣だのSOHOだの、子育てと両立できる素敵な働き方を提示され、今や切り捨てられちゃった人もたくさんいますな。

そんな時代を生き抜いてきたので、「正社員でいられる猶予期間」をもらえるなんてすばらしい!と思ってしまう。

でも、実際そうじゃないのかもしれないと、自分が定年延長途中離脱組になって改めて思った。

「やれるけどやらないこと」を選ぶのってすごく大変。
育休だの時短だのあっても、ある意味特別扱いされる人と、そうじゃない人の中で働き続けること、誰かに負担をかけつつ、気を使いつつ、子どももかわいい、仕事もしたい、家庭も大事にしたい。そして何もかもが中途半端になる。その中途半端が自分で許せない。同期はどんどんキャリアを重ねていく。

雇用機会均等法が施行されたとき、「男並みに働いたら一人前に扱ってやってもいいよ」って法律ですか?と思ったけど、結局それって変わってないんだよね。

選択肢が増えただけで、ゆるゆるコースを選ぶ男性も出てきただけで、世の中って大して変わってないような気もする。

育休や時短が可能になるなら、その分をカバーするのは時間に融通の利く他の人じゃなくて、別の人を雇うべきなのに企業はそれをしない。
以前、女性の社会参加制度を調べていた時、北欧などでは1/2社員、2/3社員なんてのがいて、それらをまとめて1にするという制度がとられていることを知った。
0.7になった人の分を、他の誰かが1.3で補うのではない。

0.7になった人の分を、他の誰かが1.3で補うという日本式を取っていたら、1.3の人は、そのうち0.7の人二人分まで補うようになって、1.6働いて合計3にする。うまくいくわけないよね。

だから軋轢が生まれる。

そして0.7側は、本来組織とは関係ない「ダンナが子育てに参加しない」や「手伝うって自分事じゃないよね!」みたいな話になる。
SNSでは実態はわからずとも「二人で子育て」の理想的カップルが山ほど沸いてるから、なお理想は高くなる。

ということで、まず正すべきは「一回レールを降りたら終わり」な社会を変えることなんじゃないかなと思っている。

若い子には「細く長くでもいいけど、続けることが大事」「いつかフルにできるようになったらフル回転すればいい」と言い続けてきたけど、それが組織の中だけではなく、社会全体としてできるようになればいいんじゃないかと。

コンピューターじゃないんだから、1か0かの選択をする必要はない。組織にいなくても0.3でも0.5でも0.7でも続けていた人が1に復帰できるようになったら行く場所があればよい。
男性でも女性でも。

もっと自由に自分のペースで続けられる世の中になれば、何かが変わるんじゃないかと思っている。

という私は、60過ぎてもいつまでも1.0以上を求められ続けるので、そりゃ無理だと思ってレールを降りたんだけど、まあいいんです。先のことを考えなくて良いから。

先のことを考えなければならない人が、「今は0.5が精いっぱいだけど、もうしばらくしたら1.0なれるから」なら、もっと楽になれるんじゃないかなぁ。

でも、日本の1って、異常だよね。


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