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ハイジと「傭兵」のお爺さん

       大自然の中のハイジは輝いている

スイスの景色は素晴らしい。
限りなく緑の山々が続き、牧場の空気がおいしい。
遠景に見えるアルプスの山々・・・
アニメの「ハイジ」の世界が広がっている。

ハイジは可愛いですね。特にアニメに描かれている少女に備わっている
自然の賢さ・他人を愛する姿勢のすなおさに感動しない人はいないですね。
それに、頑固爺の愛情にあふれた「まなざし」に共感する人が多いですね。

このアルプスの少女ハイジとお爺さんの背景について考えてみましょう。

      優しいお爺さんは「傭兵」だった

優しいけれど、気難しいハイジのお爺さんは、むかし傭兵でした。
傭兵とは、金銭などで「雇われた兵士」のことです。武器を取り、戦争請負人のような仕事をしている人のことです。ハイジのお爺さんは、若い頃、アルプスを越えたナポリで傭兵の仕事をしていたのです。
そのために、人間不信になり、心を閉ざした人になったのです。

ちなみに、中世の戦場では傭兵が活躍しました。封建制の下ですが、徴兵制ではなかったからです。現在のウクライナの戦争では、プーチンが民間軍事会社「ワグネル」を使って戦闘を継続していますが、これは「傭兵」で、いわば戦争請負人です。

日本では、関ヶ原の戦いがすんで、仕事がなくなった「一部の浪人」は、海外に出かけて傭兵になりました。その中でも、東南アジア・タイ(シャム)のアユタヤ王朝で活躍した山田長政は、800人の部下を持つ傭兵隊長でした。そして、あちこちに日本人町ができました。  

   貧しい人々は「傭兵」になって、戦場を走った

ハイジが描かれたころのスイスは、大半が山岳地帯であるために、農業や産業が育たない貧しい国で、国家を支えていたのは「傭兵業」でした。
シュピリの原作(1880年)によれば、ハイジのお爺さんも、「ナポリの傭兵」として、戦場を渡り歩いたと記されています。だから、沢山の悲劇がありました。
 
例えば、フランス革命の「市民軍」に対峙したのは、「スイスの傭兵」でした。国王ルイ16世に従った傭兵はスイス人だったのです。
革命で、国王が降伏したら、真っ先に殺されたのはスイスから来た傭兵だったのです。スイス傭兵は、市民たちに無抵抗のまま殺害されました。
貧しいために傭兵になった人たちの悲劇です。
現在はスイスのルツェルンに慰霊碑があります。「嘆きのライオン像」です。悲しい像です。

    バチカン市国はスイスの衛兵に守られています

派手ないでたちで、観光客を楽しませている「バチカン衛兵」は、スイスの傭兵です。いまも、バチカン市国は、スイスの傭兵で守られているのです。「傭兵」は、金銭などで雇われた兵隊・軍隊のことで、直接的な利害関係がない兵士ですから、近年は禁止されていますが、バチカン市国の、スイスの「衛兵」は特例です。
   
<チョット寄り道> バチカン市国の衛兵になる条件
「バチカン市国の衛兵」になるためには、いくつかの条件があります。
まず身長は174センチ以上であること、スポーツ能力が高くて、職業訓練・基礎訓練などを受けたカトリック信者、スイス人で、独身であることなど、ハードルは高いです。

その割に給料が低いので、最近は応募者が少なくなっているそうです。
派手な制服は、ミケランジェロのデザインだという説がありましたが違うようです。衛兵はカッコいいので、観光客に人気がありますが、決してラクな職業ではないようです。

     自然児のハイジが受けた教育

ハイジは、アルプスの山の中で自由に育ちますが、学校に通って学習する機会はなかったですね。だから、読み書きは、多少、お爺さんから教えてもらっても、自由に本を読み、考えるということは出来なかったでしょう。

だから、フランクフルトに行って、ロッテンマイヤーさん(執事)にであい、躾の指導を受けることになって「ストレス」がたまったことは容易に想像できます。
このころのドイツでは「教育はレベル」が高く、自然児のハイジには、とても住みにくい環境だったと思います。しかし、ここでの体験が、後の生活に生きてきますね。ペーターのお婆さんに本を読んであげたり・・・。

自然児のハイジは心身ともに疲弊し、夢遊病者になってしまいます。
そこで故郷のアルプスに帰されるというストーリーが展開します。
が、田舎で育った人間が、大都市の生活に慣れないために体験するストレスは、現在と「あまり変わらない」ですね。cultureshockですから。

   クララのお祖母さんから受けた教育

ハイジは、「少女クララ」の祖母から、キリスト教的教養(プロテスタント)を学びます。大都市で勉強し、教養を身につけることは、「時」と「場」が違っても大切なことです。ハイジは苦労しながら成長していきます。

フランクフルトはドイツの玄関口でハブ空港もあり清潔な美しい街です。
正式名は、フランクフルト・アム・マインと言います。旧市街には、現在も美しい街並みが残っています。
クララの父は実業家と記されていますが、多分、金融業に携わっていたのではないでしょうか。現在も金融ビジネスが盛んな都市です。
中世から、ユダヤ系の金持ち・文化人も多く、ヒトラーに迫害された『アンネの日記』のアンネ・フランクもこの街に住んでいました。
 

    ”自然に帰れ“  ルソーの思想の影響

「自然に帰れ!」というルソーの思想は、閉鎖的なキリスト教・封建制度の束縛から、人間を解放する強さを持っていました。

ルソーは、1755年に「人間不平等起源論」を書きました。
「自然は人間を善良で自由な存在として創造したが、社会が人間を堕落させ、奴隷にし、悲惨にしてしまった。」
だから、”自然に帰るべきだ“と主張したのです。

彼はフランス革命を誘導した一人です。また、1762年に『エミール』を出版し、子供たちの本性を大切にし、自然な成長を促す教育論を展開しました。

『人間は2度生まれる。一度は存在するために、もう一度は生きるために』と、若い人のことを「第2の誕生」と言いました。
つまり、自我が芽生えてきて「生物として生きてきただけ」の自分とは異なり、「自分を見る自分」が存在する認識を持つことの大切さを示しました。

著者シュピリは、こうした時代の背景の中で、ハイジを通して子供の成長を多角的に考えていたと思います。
 
<チョット寄り道>

ルソーの影響を受けたペスタロッチ(スイス)の教育思想と行動は、日本の教師たちに大きな影響を与え、教育の精神的な支柱になりました。
彼の思想の特色は、「子供の自発的な活動」を通じて、いろいろな「能力を調和的に発展させる」・「人間教育」にありました。

私達は、知らぬ間にペスタロッチの影響下で育ったのです
教育学に関心がある人は、ペスタロッチからスタートすると良いですね。

彼が残した言葉を一つ紹介します。
忍耐心を持たなければならないようでは、教育者としては落第である。
愛情と歓びを持たねばならない。


 




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