【本/考察】毒②
前回に引き続き、「おいしいごはんが食べられますように」のむかつきポイントについて解説・考察していく。
⑦芦川さんにお菓子の材料代を支払うようになった
「みんなより先に帰してもらっているから」と申し訳なく思う気持ちはあるはずなのに、何故仕事でなくてお菓子で返そうとするのだろう。芦川さんには「心地いいことだけやっていたい」という気持ちがあるのではないだろうか。だから仕事でなくて、お菓子作りで罪滅ぼしをしようとする。みんなは喜んでいるように見えるけれど、本当に望んでいることではない気がする。それとも、もうみんな仕事では芦川さんに期待していないのか。材料費を払うということは認めることだと思う。芦川さんが仕事の代わりにお菓子作りを頑張ることを認めること。
④で二谷は語っている。みんながみんな、無理なくできることをやってうまくいくわけがない。しんどくても誰かがやらないと会社は回らない、と。でも芦川さんは無理なくできることをやっていいよと認められたわけだ。悪意のある言い方をすれば、しんどい仕事を人に押し付けて、その浮いた時間で心地いいことをやっていいよと認められたのである。押し付けられた人たちは当然不愉快だ。だから二谷も他の誰かもお菓子を捨てるのかもしれない。忙しさは時に我を忘れさせる。ぴりついて、いつもなら気にしないようなことが気になることもある。みんなの怒りがぐつぐつと煮えたぎっていた。
⑧二谷の家に泊まりに行かない代わりに、月に何度か夕飯を作りにきて、二谷が食べ終わるのを待って帰っていく芦川さん
⑨新年会の最中、傷心中の藤さんを抱きしめる芦川さん
芦川さんが18時に退社しているとして、二谷が帰ってくるのは22時だ。22時までに料理を作り、二谷が食べ終わるのを待ち、帰る。自宅に向かうのは22時30分近いだろう。家に着くのはもっと遅い。それができるなら残業もできるだろうと思う。
一人暮らしの二谷はコンビニのご飯やカップラーメンをよく食べ、居酒屋もよく利用する。そんな二谷を心配して芦川さんは料理を作る。そして、「遅くまでお仕事大変ですけど、なるべくちゃんとした、体にいいものを食べてくださいね!」などと小言も言う。
二谷はその言葉に心の中で強く反発する。たたでさえ仕事で時間が削られて、二谷には自由に使える時間は2時間もなかった。「そのうちの1時間を飯に使って、残りの1時間で風呂に入って歯を磨いたら、おれの、おれが生きている時間は30分ぽっちりしかないじゃないか」。
言い過ぎかもしれないが、芦川さんは「二谷が生きている時間」を奪ってはないだろうか。奪った時間でみんなにお菓子を作ったり二谷にご飯を作ったり、誰も望んでいない、自分がやりたいだけのことをしてはないだろうか。
食事をとる二谷に芦川さんは話しかける。それはどれも、二谷に「じゃあおれらも結婚しようか」「そんなに気になるなら買ってあげようか」「海行こうよ」という返事を期待しているように見える。芦川さんにそういう意図はないのかもしれないが、もうそういう風にしか見えなくなっている。
新年会で、芦川さんは藤さんを抱きしめた。部下と上司。慰めるにしても普通そんなことはしない。自信はないが、もしかしたらこの2人は寝ているのかもしれないと思い始める。藤さんの家族仲については不明だが、奥さんが出ていった原因は一つではないかもしれない。
満更でもない芦川さんの態度。芦川さんに甘い藤さん。3度目のデートの後、芦川さんは二谷の自宅を訪れている。そのとき彼女は招かれることを想定していたように見え、二谷は違和感を抱いていた。大人であればそういうことは当たり前に想定できるのかもしれないが、その描写は不倫関係の伏線なのか。
⑩押尾さんより芦川さんを守ろうとする会社
今回、お菓子を潰して芦川さんの机に載せたのは二谷だ。では何故押尾さんが濡れ衣を着せられたのか。⑤で押尾さんは原田さんに問い詰められている。それに対して押尾さんは「違います」と答えるのだが、「本当に違うんなら、お菓子が捨てられてるってなんのことですかって言うんじゃないの」と疑われてしまう。とりあえずその場は難を逃れたが、再び事件が起こったので容疑をかけられたのかもしれない。
深読みかもしれないが、芦川さんが押尾さんを陥れた可能性もある。原田さんが押尾さんを疑っているので、それに乗っかったのではないか。
動機は私が思いつく限り2つある。押尾さんは芦川さんに「いじわる」をしてきた。芦川さんにはしんどくなりそうな仕事をさせないという暗黙のルールがあるのだが、押尾さんはそうしなかった。社員が本来やるべき責任のある仕事を芦川さんに任せていた。それが芦川さんにとっては不都合だったのではないか。
もう1つは、芦川さんがホールケーキを持ってきた時のことだ。
たっぷりの生クリームと色とりどりのフルーツが載ったケーキの登場に、すごいすごいと事務所は盛り上がる。芦川さんがケーキを切り分けるのを待ってミーティングスペースに人が群がる。そこで押尾さんが声を上げた。「足りなくないですか、ケーキ」。
芦川さんが「そうなんですよ!ケーキ2個は持って来られなくて。頑張っても8等分にしかならないので、食べる人、みんなで決めてください!」と言う。
そのとき、明らかに白けた空気が漂ったのだった。藤さんが冗談めかして「言ってくれたらおれが芦川さんちまで車で迎えに行ったのに。次から連絡ちょうだいよ」などと言う。芦川さんはケーキとナイフに視線を向けたまま笑みを浮かべて、「ですね、失敗。今度はそうします!」と答えていた。
③で、芦川さんは人から好かれるための労力を惜しまないタイプであると考察した。そのため、このときの白けた空気に彼女は焦っていたのではないかと思う。芦川さんは人から好かれることで許されてきた。それが失われるのは恐れるべきことのはずだ。こうしたことから、彼女の中で押尾さんは脅威になっていたのかもしれない。
吐き気を催した押尾さんは何を考えていたのだろう。仕事を真面目に頑張ってきた押尾さん。時には芦川さんのカバーまでしてきた。それなのに誰も彼女を守りはしない。フォローすらない。会社のみんなにとって、押尾さんより芦川さんの方が大切だ、価値がある、押尾さんはそう言われたように感じていたのではないか。じゃあ、自分が今までやってきたことは一体なんだったのか。押尾さんの胸中を思うと居た堪れなくなる。退職を考えるのももっともだ。
一方の芦川さんは、支店長と藤さんの計らいにより異動すらない。私はこの場面を読んで、再び藤さんと芦川さんの仲を疑った。
支店長と藤さんを味方につけているので、芦川さんは向かうところ敵なしである。押尾さんのような人が不満を漏らしても2人が丸く収めてくれるから、ある程度のことは許される。そんな環境にずっといられると約束されている。
「ずっとここにいられるなら実家を出なくて済むし、ありがたいことだよね」。この人には「自分だけいい思いをして、他の人に申し訳ない」という気持ちはない。それが伝わってくる一言だと思う。二谷の言葉を借りれば、「弱々しさの中に、だから守られて当然、といったふてぶてしさがある」ということだろう。そして、押尾さんの「あの人は弱い。弱くて、だから、わたしは彼女が嫌いだ」という言葉がとても腑に落ちる。
押尾さんの有給消化について藤さんが不満を漏らす。初めは芦川さんとの扱いの差に憤りながら読んでいるだけだった。今改めて読むと、藤さんに限った話ではなく、会社は頑張る人に冷たいのだと思った。頑張ることは特別視されない。ほとんど全員が頑張っているから。頑張ること、時には人の分までカバーすることが当たり前だと見なされる。頑張ったところで、辞めるときには有給消化を渋られさえする。「今まで頑張ってくれたから」はない。だとすると、芦川さんのように「頑張らない」方が得なのではないかと思えてくる。でも大半の人がそうしないのは、「できないと思われたくない。人並みにできていると、あるいは、人並み以上にできると思われていたい」からなのだろうか。
藤さんは「二谷ともっと一緒に仕事したかったんだけどな」と言った。そのわりに芦川さんを異動させることはない。一緒に仕事をすることの多かった二谷より芦川さんを大事にしている。そう見える。その薄っぺらい言葉を聞いて二谷はどう思ったのだろう。
⑪送別会に芦川さんが持ってきたケーキの「二谷さん、押尾さんありがとう」のプレート
⑩で、あの日芦川さんの机の上にお菓子を置いたのは自分だと二谷は明かした。それまではきれいな状態のお菓子だったのに、その時はぐちゃぐちゃに潰されていた。芦川さんにも、昨秋と今回で犯人が違うことはわかっていたはずだ。
パートさんと二谷が話しているのを見つめる芦川さんは、二谷が犯人だと気づいていたのかもしれない。恋人が犯人だと気づいて、芦川さんはどう思ったのだろう。普通は心中穏やかでないはずだ。
でも、そういう人はいる。「直接自分に言われていないことは、なかったことと同じ」と思う人が。芦川さんもそういうタイプなのだろうか。
押尾さんの挨拶は職場の人たちへの皮肉であると思う。散々芦川さんの行動を容認してきたのだから、同じことをしても許されて然るはずだ。
自分のための送別会。本来なら多少体調が悪くても、周囲のことを思って出席するはず。でも別に行きたくないし、幸運なことに体調も思わしくないので休もう。芦川さんならそうする。だから押尾さんもそうした。
そして、同じ偏頭痛持ちだがこれまで自分は我慢して仕事をこなしてきた。芦川さんはしなかったけど。そう付け加えるようにして押尾さんは去っていく。
犯人は別にいると知っていながら押尾さんを追い出した芦川さん。そもそも事件のきっかけを作った芦川さん。結果的に二谷を異動させた芦川さん。その人がプレートに「二谷さん、押尾さん、ありがとう」と書いた。無神経さに愕然とする。
「ほんまにうれしいんかそれ。」その言葉は、それだけのことをしておいて笑顔で人を送り出せるのかと、そういう意味だろうか。芦川さんがしてきたことは手作りのホールケーキでは覆せない。そのはずなのに、ケーキを褒められたことしか頭にない芦川さんに苦言を呈しているように見える。
「ないがしろにできなさ」を持つ芦川さんに、ラストシーンにして初めて二谷が否定的なことを言う。だがそれも結婚云々にかき消される。
私はきっと、二谷と芦川さんは結婚するのだろうと思う。と言うのも、結婚モードになった芦川さんが周囲の人に漏らし、収集がつかなくなって二谷は結婚せざるを得なくなるのではないかと予想しているからだ。
二谷は芦川さんを「ないがしろにできなさを持つ女」と表現していたけれど、二谷が恐れているのは本人ではなく芦川さんの周りだと思う。彼女をないがしろにすれば、あっという間に二谷の評価は失墜する。それが怖い。だから彼らはきっと結婚する。
「誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしい」という押尾さんの言葉に胸を衝かれた二谷に、これからおいしいごはんを食べられる日はやってくるのだろうか。
私のむかつきポイントは以上である。
次回は番外編として、主要な登場人物について考察していきたい。
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