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【本/考察】毒①

 高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ。
 読んでいてこんなに不快になる本も珍しい。
 この本を批判したいわけではない。が、本当に不快になった。読了後も後を引くむずがゆさ。むかつき。毒を食らったと思った。

 何がそんなに不快なのかというと、この本の登場人物・芦川さんである。ついでに言えば主人公の二谷も大半の同僚たちも、私にとっては相当不可解だ。
 この毒はどこかに吐き出さないと治らない気がするので、ここでは私のむかつきポイントについて解説・考察していきたいと思う。
 まずは主要な登場人物について、紹介と私なりの解釈を書いていく。

 ・二谷…本作の主人公。男性。持ち前のことなかれ主義で会社でうまくやっている。「うまくやる」ことに照準を合わせて生きている。

 ・芦川さん…二谷の先輩。女性。よく体調を崩して早退したり欠勤したりしている。加えて仕事もできないが、いわゆる「守ってあげたくなるタイプ」のため会社で生き残れている。料理とお菓子作りが得意。容姿は整っている。

 ・押尾さん…二谷の後輩。女性。芦川さんのことが嫌い。芦川さんの尻拭いをよくやらされている。堂々と芦川さんを裁くことはできないので、正当なやり方で、問題にならない範囲で芦川さんに報復してきた。そうしないと気が済まないタイプ。

 私には、登場人物の中で押尾さんが一番まともに見える。というのも、多分私は押尾さんと似たようなタイプだからだろうと思う。
 以下、むかつきポイントを列挙していく。

①藤さんが口を付けたと知っているのに、わざわざ本人の前でペットボトルのお茶を飲む芦川さん

藤さんというのは、支店長補佐の40代男性である。
 離席している芦川さんの席にお茶があった。藤さんは「喉が渇いていたから」という理由で、わざわざ芦川さんのお茶を飲んだ。そのことを藤さんは本人に伝えたが、芦川さんは嫌な顔ひとつせずに、藤さんの前でペットボトルに口を付けたのだった。

 この場面を読んだとき、藤さんはセクハラが度を過ぎている人で、芦川さんは藤さんに完全に舐められているんだなと思った。それにしても芦川さんの行動が謎だったが、今は、芦川さんはセクハラを甘んじて受けているというか、藤さんに「守ってもらう」ために必要な行動をとっていたのではないかと考えている。

②芦川さんから引き継いだ仕事でミスが出たとき、芦川さんにも責任はあるのに先方への謝罪を二谷や他の人に任せた

これは二谷が現在の支店に転勤してまだ日が浅い頃の話だ。二谷は芦川さんから業務の引き継ぎを受けていた。そこで、芦川さんから二谷へ納品日の連絡ミスがあり、先方に謝罪をしなくてはいけなくなった。芦川さんと二谷は、お互いの確認ミスということで了解した。しかし、先方へ菓子折りを持って謝罪に行くのは二谷1人。電話口での謝罪も、芦川さんでなく藤さんが行った。
 二谷は後で知ったことだが、芦川さんは前職でパワハラに遭っており、声が大きい人が苦手とのことだった。
 二谷は、現担当の自分が菓子折りを持っていくのは理解できる、責任者である藤さんが電話口で謝罪をするというのもわかる、と飲み下そうとしていたが結局叶わなかった。二谷の中で芦川さんへの尊敬が失われるきっかけとなった事件である。

 怒鳴られるのが得意な人など稀である。望んで謝罪に行きたいという人がどれほどいるだろうか。
 誤解を恐れずに言えば、過去にパワハラに遭ったと言われれば謝罪を指示する方に罪悪感が生じないだろうか。謝罪でなくても、こういうタイプの取引先には芦川さんをあてがわないようにしようとか、他のことでも配慮する必要が生じるはずだ。
 でも、「パワハラに遭った」と申告することを批判することはできない。実際に芦川さんが過去にパワハラに遭っている可能性もあるからである。
 かと言って、電話口の謝罪くらいは芦川さんにやらせてもいいのではないかと思う。そうさせなかった藤さんにも疑問がある。
 批判できそうでできない、ぎりぎりのところにいつも芦川さんはいる。

③二谷と芦川さんが居酒屋で食事をしたとき、店主に聞こえるように「おいしい」と言ったり、わざわざ厨房までそれを伝えに行ったりする芦川さん

 芦川さんは二谷のタイプだ。祖母から結婚を急かされていることもあり、二谷は芦川さんと交際することにした。
 3度目のデートで2人は居酒屋に行った。そこで芦川さんは「おいしい」と店主に聞こえるように繰り返し、微笑みかける。さらに退店の際、店員から、芦川さんが厨房に来ておいしいと声をかけてくれたと知らされるのであった。
 「彼氏に感じよく思われたい」を超越した行動に二谷は戸惑うが、理解できないからこそ、丁重に扱わなければいけない相手なのではないかと思い始めるのだった。

 そもそも尊敬できない相手となぜ付き合うのか理解できないと思ったが、顔が良くて性格もタイプなら付き合うくらいはあるのだろうか。仕事とプライベートは別だから許容できるのか。この件については後述する。
 芦川さんは「みんなに好かれる自分でありたい」という気持ちが人一倍強いのかもしれない。人から良く思われたいという気持ちは多かれ少なかれ大体の人が持っているものだと思う。だからといって、飲食店に行ってわざわざ芦川さんのような行動をとるだろうか?
 芦川さんは人から良く思われるためなら労力を惜しまない、そんな人なのだと思う。

④前の日に頭痛で早退しているのに、次の日に手作りのマフィンを職場で配る芦川さん

 芦川さんが頭痛で早退したため、共同で行っていた仕事が締切に間に合わないかもしれないと藤さんに報告する押尾さん。そこで、「君ができないなら仕方ない」と暗に言われるのだった。不満を滲ませる押尾さんに藤さんは言う。「みんな自分の働き方が正解だと思ってるんだよね。無理せず帰る人も人一倍頑張る人も、自分の仕事のあり方が正解だと思ってるんだよ」。
 そして藤さんは、しんどいことができない人は一定数いることと、自身が前の支店で一緒だった男性職員も何かと理由をつけて欠勤や早退を繰り返しており、芦川さんはそれに比べたらましでしょ、ということを付け加えた。
 押尾さんは、その男性職員と芦川さんの何が違うのか理解できなかった。しかし、みんな自分の働き方が正しいと思っているというところには納得した。押尾さんと芦川さんでは正解が違う。
 その翌日、芦川さんは手作りのマフィンを社員からパートまで全員に配った。芦川さん曰く、帰ってもう一度薬を飲んで寝たら治ったので、仕事を代わってもらったお礼に作ったとのこと。みんなが絶賛したので、これを機に芦川さんはときどき手作りのお菓子を持ってくるようになった。
 二谷は思う。みんながみんな、無理なくできることだけを選んで生きてうまくいくわけがない。しんどくてやりたくないことも誰かがしないと会社は回らない。でも、体調不良を訴える芦川さんの顔色の悪さは確かで、嘘ではないのだろう。

 押尾さんや二谷の言葉から察するに、芦川さんは体調不良で早退したり欠勤したりすることが他の人より多いようだ。
 藤さんの言う「君ができないなら仕方ない」とは、要するに「芦川さんのカバーを押尾さんができないなら仕方ない」という意味だろうと思う。そして、芦川さんさえ早退しなければ業務は予定通り完了していたはずなのに、さも自分の力不足で仕事が間に合わないのだというように言われることが押尾さんは不満だったのだろう。
 藤さんは、芦川さんからの早退の申し出は労わるように聞いていた。藤さんの中では役割がはっきり決まっているのかもしれない。芦川さんはか弱くて無理できない人、押尾さんがそれをカバーする人。
 続いて藤さんは例の男性社員の話をする。そこで彼は暗に「仕事ができない男性より仕事ができない女性の方がましでしょ」と言っているように感じる。藤さんにとって、女性は仕事ができなくても許せるということだろうか。でも芦川さんと押尾さんの扱いが異なることを考えれば、芦川さんを特別扱いしているともとれる。
 みんな自分の働き方が正しいと思っている。それはその通りだと思う。働き方というのは規律には記載されないようなことで、その結果「我慢する人とできる人で仕事が回っていく」。体調が悪いかどうかなんて本人にしかわからない。批判できそうなのに、やはり大っぴらには批判できないのである。
 個人的には、早退した翌日に手作りのお菓子を持ってくることについては「そうするだけの元気はあんじゃん。働けよ」と思わざるを得ない。でも彼女の言葉を鵜呑みにするなら、帰って薬を飲んで寝たら治ったから、作ったのである。だから問題はない。そのはずなのにわだかまりが消えない。

⑤19時以降も働く日が2、3日続くと翌日に体調を崩し出勤できなくなる芦川さん

 10月。大きな受注があり繁忙を極めることになる。ほとんどの社員たちが定時で帰れることはなくなり、二谷も23時頃まで働く日々が続いた。
 しかし芦川さんは違った。19時を過ぎてから帰る日が2、3日続くと、翌日に体調を崩し出社できなくなるようである。休まれるよりはまだましなので、18時を過ぎたあたりで、そろそろ帰宅するようにとみんなが声をかけた。芦川さんは「今日も頭痛くなっちゃいました」と告げて帰っていく。
 芦川さんが去った後、押尾さんが不満げにため息をつく。藤さんは、他店では「ものもらいができたくらいで休むな」と怒鳴った人が左遷されたと言った。だから自分にはどうしようもないということらしい。
 後日、芦川さんはおやつとして黄桃のタルトを配った。二谷は「平日の夜にこんなのを作る時間があるのか」と思いながらも、喜ぶ演技をしながらタルトを受け取る。定時に芦川さんが帰り、21時を過ぎみんなが帰った後、冷蔵庫からタルトを取り出した二谷は手のひらでそれを潰した。残骸をビニール袋に入れて握りつぶし、丸めてゴミ箱に捨て、二谷は会社を後にするのだった。

 19時を過ぎてから帰る日が数日続くと体調を崩す。どんな仕組み?と思わざるを得ない。
 早退のときは「頭が痛いので帰ります」と自己申告していたが、今回は違ったようだ。確かに「長く残ると体調が悪くなるので帰ります」では胡散臭い。結果として、「残業が数日続くと体調を崩す」ということがみんなに刷り込まれ、配慮されるようになった。そうすることで印象の悪い言葉を自分から言わなくてもよくなったわけである。または「体調が悪くなることはわかっているのに、帰れと言われるまで帰らず頑張る私」をアピールしているのかもしれない。芦川さんの行動がだんだんエスカレートしているような気がしてくる。
 藤さんの言葉から察するに、芦川さんの行動に何も感じないわけではないようだ。ただ改めて言葉にしてしまうと自分が不利益を被る可能性があるから、自分も含めた他の人でカバーした方が得策だと考えているのかもしれない。または「芦川さんかわいいしまぁいっか」くらいに思っているのか。
 本作が本当におもしろくなるのはここからだ。二谷の行動を見て、ついに芦川さんが裁かれるのかと正直興奮した。
 繁忙も相まって、芦川さんに対する二谷の感情が沸騰し始める。二谷は決してそれを言葉にしたり見せたりしない。でも、ケーキを潰すという行動が二谷の感情の激しさを表していると思う。ため息や芦川さんへの「いじわる」が押尾さんの不満なら、ケーキを潰すのが二谷の怒りだ。
 押尾さんと二谷はときどき食事に行く。その際、よく押尾さんは芦川さんへの不満を漏らしている。二谷は聞き役に徹する。それだけを見ると押尾さんの方が芦川さんに怒っているように見えるが、二谷も腹の底に相当な疑問や苛立ちを隠していたのかもしれない。
 仕事ができる人だからと言って、たくさんの仕事をこなしたいわけでも、そうすることがしんどくないわけでもない。我慢強い人が我慢したいと思っているわけでも、それがたやすいことでもない。そういう怒りが、二谷の中にはあったのではないだろうか。

⑥二谷が転勤してくる前、押尾さんと芦川さんが穴に落ちた猫を見つける。押尾さんが猫の救助をしていると雨が降ってきた。押尾さんが濡れる中、芦川さんは1人だけ傘を差していた

その日、二谷と押尾さんは仕事帰りに居酒屋に寄った。その帰り道、押尾さんは二谷が転勤してくる前に起こったことを話すのだった。
 押尾さんと芦川さんは、取引先からの帰り道に激しい猫の鳴き声を聞く。声のする方を探すと、河原にある穴に猫が落ちているのを見つけた。「大変、どうしよう」と芦川さん。
 近づいてみる。穴は四方をコンクリートの壁で覆われており、壁は膝下くらいの高さまで伸びている。猫までの距離は2メートルほど。芦川さんは「どうしよう」と繰り返した。助けない以外の選択肢はない。
 足場がないので降りられず、押尾さんは汚れたコンクリートの壁から身を乗り出し、上半身を垂らして手を伸ばした。猫には届かないが、腕を猫が登ってくれることを期待したのである。しかし猫は急に人間が近づいてきたことでパニックになり、さらに激しく鳴くだけだった。しばらく待ったがだめで、頭に血が登ってきたので一旦救助を中断する。
 すると芦川さんが「すごい、私スカートでそんなことできない」と言う。押尾さんが「いやでも、こうしないと猫が」と言うと、芦川さんは「道を歩いている男の人に声をかけて助けてもらおう」と言った。
 押尾さんの頭にはてなが浮かぶ。押尾さんが腕を伸ばしても猫は警戒しているので登ってこない。それが男の人に代わったところで猫が登ってくるとは思えない。
 そのときの押尾さんに、警察を呼ぶという発想はなかった。とにかく、押尾さんは男の人を呼ぶことを拒否した。
 そのうち雨が降ってきた。その日は雨予報で、夜から大雨になるとのことだった。穴に水が溜まって猫が死ぬことを恐れ、押尾さんは焦る。もう一度救助を試みた。スーツは汚れていたが気にしてはいられない。
 猫は相変わらずこちらを警戒していた。押尾さんは自分の鞄の中身を空にした。人間の手より物の方が猫が怖がらないだろうと思い、腕を伸ばして鞄を穴の中に下ろした。今度は猫のかなり近くまでいった。そのまましばらくじっと待ち、急に猫が振り返ったと思ったら、一気に鞄から体を登って穴から飛び出していった。
 押尾さんが体を起こすと猫はもういなくなっていた。芦川さんを見ると、傘を差していた。雨はぱらぱらと降っていて、前屈みになっていた押尾さんは背中から腰を濡らしていた。
 会社への帰り道、芦川さんは押尾さんのことを「すごいすごい尊敬する」「私には絶対できない」「私も押尾さんみたいに強くなりたい」と褒めていた。
 その話を聞いて、二谷は「強いとか弱いとかいうこととと猫を助けるかどうかは別のことだと思うから、俺だったらそんなこと言われたら許せないかもしれない」と言う。口には出さなかったが、押尾さんはそれを聞いて救われた気がした。

 芦川さんは「どうしよう」と発することで、押尾さんに猫を救助させようとしているように見える。押尾さんの言う通り、どうしようと言われても助けるしかない。もし見て見ぬふりをすれば芦川さんは「猫を見殺しにした人」になってしまう。そうはなりたくない。でも私スカートだし、服も汚れそうだし、押尾さんどうしよう。そんな風に聞こえる。
 「すごい、私スカートでそんなことできない」。懸命に救助を試みる押尾さんに、芦川さんはそんなズレたことを言う。自分には何もする気がないというのが伝わってくる。そんなことを言っている場合ではないと思うのだが、芦川さんにとっては「猫を助けたい」と「スカートの中が見えそう」では後者の方が重要らしい。思っていても、今まさにそうしている人の前でわざわざ口に出す必要はないと思う。
 そして芦川さんは男の人に助けを求めることを提案する。押尾さんの言う通り、猫に手を伸ばすのが押尾さんだろうが男の人だろうが状況は変わらないだろう。それでも芦川さんが男の人を頼ろうとしたのは、「男の人は強いから、大変なことは男の人にやってもらおう」という気持ちがあったからではないか。
 やっとの思いで猫を救助した押尾さんが見たのは、自分1人傘を差す芦川さんの姿だった。普通は、救助を頑張る押尾さんが濡れないように傘を差し出さないだろうか。それか、いつ何があってもいいように構えているのが普通ではないのか。芦川さんは救出劇を傘を差して眺めていたのである。自分には関係ないかのように。
 「私には絶対できない」と芦川さんは褒めたが、やろうとしていないだけだと私は思う。もっと言えば、自分がやらなければいけないことだと思っていない。押尾さんもいたからだろうか。強い押尾さんと弱い私の2人だから、強い押尾さんがやればいいと思ったのか。強いとか弱いとかは私にはよくわからないが、押尾さんが強かったから救助できたわけではない。やろうとしたからできただけだ。

 まだまだ長くなりそうなので、一旦ここで区切ろうと思う。続きはまた次回。

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