見出し画像

【本/考察】毒(番外編)

 前回、前々回は「おいしいごはんが食べられますように」のむかつきポイントについて述べてきた。今回は主要な登場人物について考察していく。

・二谷
 何故二谷は芦川さんと交際しようと思ったのか。ある事件がきっかけで二谷は芦川さんを尊敬できなくなった。それなのに交際するというのは個人的に理解しがたい。
 交際を決めた理由に関しては、祖母に結婚を急かされているのと、単純に芦川さんのような人がタイプだったから、というように作中で語られている。だとしてもだ。尊敬できない相手とわざわざ交際するだろうか?
 以下は個人的に気になった場面である。

 芦川さんが早退した日、二谷と押尾さんは残業を終え食事に行った。そこで押尾さんは言う。「二谷さんの部屋、遊びに行きたい」
 このとき、押尾さんは二谷と芦川さんが付き合っていることを知っていた。知っていてそう言った。
 交際を知られていないと思っている二谷は言う。「いいけど、おれ、同僚とは寝ないよ。だって不純な感じしない? 職場のフィルターがかかった恋愛なんて」
 押尾さんは「ちょっとわかります」と言った。「周りの評価がどうしたって聞こえてきてしまうから、純粋に自分だけの判断で選んだり選ばれたりしているかって言われると、違うかなと思うから。すごくいい人でも、仕事が全然できなかったらなんか、やですし。そういうことでしょ?」
 それを聞いて「どうかなあ」と二谷は返すのだった。

p50

 二谷の言っていることと押尾さんの言っていることは似ているようで少し違うと思う。
 職場のフィルターがかかった恋愛。つまり、職場での姿とプライベートの姿は異なっていて、職場での印象がいいからと言って恋愛に持っていくのは間違っているということだ。そう言って押尾さんを牽制している。しかし、裏を返すと「職場での印象が良くないからと言って、その人自身が悪い人であるとは限らない」と言っているようにも見える。
 押尾さんは芦川さんのことを思い浮かべながら話していると思う。芦川さんのことを悪く言う人なんて会社にはいないから、二谷さんは自分だけの判断で芦川さんを選んだわけじゃないでしょう。そんな風に聞こえてくる。
 ひょっとすると、このとき二谷はまだ信じていたのかもしれない。職場では納得できない行動の多い芦川さんが、プライベートでは「いい人」であることを。その後はどんどん職場の芦川さんが普段の芦川さんを侵食して、でも丁重に扱わねばならないから下手なこともできず、収集がつかなくなっている感じがする。そうして行き場を失った感情がケーキを潰すという行動に表れたのだろう。
 もしくは、尊敬できるかどうかは二谷にとっては問題にならないのかもしれない。食べなければ死ぬからご飯を食べるように、しなければいけないから結婚する。手の届くところにちょうどいい人がいるから結婚する。そのレベルのことだと捉えているのかもしれない。

・押尾さん
 続いて、押尾さんについて考察していく。押尾さんが二谷をどう思っているのか、なんとなく気になっていた。

 わたし芦川さんのこと苦手なんですよね、って言ったら二谷さんは笑った。絶対笑った。そう思うのに、一瞬で表情が消えたので自信がなくなる。自信っていうのは、笑ったっていう事実があったことについてじゃなくて、二谷さんは芦川さんよりわたしのことが好きなはず、っていう方の。

p9より引用

 このとき押尾さんは二谷を同類だと思っていたのではないか。芦川さんを疎ましく思う仲間だと。実際にその後、二谷が押尾さんの言葉に理解を示す場面がある。そして、理解者ができたと押尾さんは高揚するのだった。
 好きなものや嫌いなものが人と同じだったとき、とても嬉しくなるのは何故だろう。きっと、自分を認めてもらえたと感じるからだ。自分は間違っていないと思えるから。
 しかし、押尾さんは二谷が芦川さんと付き合っていることを知る。そのとき押尾さんはどう思ったのだろうか。私は正直「結局つまらない男だったか」と失望した。簡単に絆される他の同僚と何も変わらない。押尾さんも失望したかは定かではないが、職場恋愛について50ページのように述べている。つまり「二谷だけの判断で芦川さんを選んだわけではない」と暗に意味しているのだと思うが、それは押尾さんの願望とも捉えられないだろうか。

 「本が好きで気になったっていうより、二谷さんのことが知りたかったから見てたんですよ。二谷さんがどんな本読むのかなってのが気になって。だからやっぱり本好きを自称はできないと思います」
 「変に真面目だなあ」
 二谷さんのことが知りたくて、の部分をあからさまにスルーされてしまったな、と悔しく思うのだけど、思いながら、わたしって二谷さんが好きなんだっけ落としたいんだっけと分からない。

p53より引用

 この人が何を考えているのか分からない。したそうに見えない。嫌です、と言っても傷つきもしなそうだし、その逆に安心するわけでもなく、ただ受け流すだけのような、心をここに持ってきていない感じがする。持ってきていない。どこに置いているのだろう。

p55より引用

やらかしちゃったかな、とちょっとだけ反省する。でもちょうどいい。最後までやらなかったのはちょうどいい。多分これからも二谷さんとはしない。だから迷わず、仲良くなれる。

p61より引用

 押尾さんは二谷のことを悪く思ってはいないが、恋愛的な意味で完全に好きかと言われるとそうではないようだ。むしろアプローチをスルーされたことで、自分に入り込む隙はないと感じ、動き出しそうな感情に蓋をしたのかもしれない。加えて、「やっぱりする?」と押尾さんを誘った二谷は全然したそうに見えない。押尾さんが踏みとどまるのも理解できる。
 押尾さんが二谷と一線を超えなかったのは、芦川さんへの罪悪感もあったのではないかと思う。仕事での制裁としてプライベートを攻撃するのは違うと思ったのか。もしくは、二谷のプライベートまで侵害する恐れがあると思ったのか。そうはならなかったから、きっとちょうどよかったのだ。

一人になった帰り道で、二谷さんは今頃電車に乗っていて、さっきスマホの振動音が聞こえたから芦川さんからメールか電話がきているはずで、それを見て、なにかメッセージを送ったり、しているんだ。

p108-109より引用

 猫の話の後で、二谷は芦川さんの行動を非難した。それで押尾さんは救われた気がしたのだが、そうは言っても二谷は芦川さんと付き合っているのだ。
 坊主憎けりゃ袈裟までも。人のことを嫌いになると、職場での姿だろうとプライベートだろうと受け付けなくなる。押尾さんはその段階に来ていると思う。だから、二谷が芦川さんと付き合っているという事実は彼女を孤独にさせるのだろう。
 もしくは二谷のことを好きにならないように、「この人は芦川さんと付き合っているんだ」と自分に言い聞かせているのか。どちらなのだろう。

 無人のエレベーターホールで立ち止まった押尾さんが振り返る。なにかトラブルが起こった時の顔だった。きつく結ばれた唇、顰められた眉の下に視線が固定された瞳。それなのに頬だけが、油断したようにほんのわずかに緩んでいる。

p112より引用

 二谷さんも、言わないんですね、お菓子が捨てられてるってなんのことだって。押尾さんが相変わらず表情だけは深刻そうなまま、遊びに誘うような声で言う。

p113-114より引用

「それを捨てたのは、おれじゃないよ」
 押尾さんが眉をひそめて、二谷を見つめる。そんなわけない、とその目が言っていた。(中略)
 「おれは捨てる時、ぐちゃぐちゃにつぶしてるから、形が崩れてないなら、おれが捨てたものじゃない。押尾さんが捨てたんでもないなら、つまり、うんざりしてるやつは他にもいるってことだ」
 押尾さんが目を見開いた。
 「それはちょっと考えてなかったです。絶対二谷さんだと思ってた……けど、考えてみたら別に、不思議ではないですね」
 じゃあ、もうやめよっかな。
 押尾さんはつまらなそうに言い捨て、唐突に話題を変えて仕事の話、当面進めなければならない業務の進捗確認を始め、自然に部署の方へ向かって歩き始めた。

p118-119より引用

 ゴミ箱の中のお菓子を見つけたとき、押尾さんは二谷の仕業だと思って喜んだのだろう。しかしそうではなかった。
 何故押尾さんは興醒めしたのか。彼女は「二谷が潰したお菓子」を芦川さんの机の上に載せたかったのではないだろうか。「あなたの彼氏は本心ではこう思っているんですよ」ということを伝えるために。

 ここから先は完全に私の推測だが、押尾さんは二谷のことを好きになれた。なれたが、ならないようにしていた。それは二谷が芦川さんと付き合っていたからだ。同じ土俵に乗ることもできたかもしれないが、芦川さんは二谷のタイプなうえ「ないがしろにできなさ」を持っているから、押尾さんの勝率は低いだろう。勝てないとわかっているから、初めから戦わなかったのではないだろうか。職場でも芦川さんの方が優遇されていて、プライベートでも、言わば女としても負けてしまったら、私なら耐えられないかもしれない。

・芦川さん
 芦川さんについても少し思うところがあるので書いていく。

 「さあ。それは分かんないですけど。笑顔でいた方が楽だから」

p32より引用

 笑顔でいると、悪い印象を持たれることは少ない。
 藤さんからセクハラされても、笑顔でいれば大事にならないし相手の気を悪くさせない。笑顔でいれば周りが都合よく解釈してくれる。笑顔でいればいい子だと思われる。そういうことだろうか。
 彼女がすべてのことを天然でやっているのか、意図的にやっているのかわかりかねる。

 「姉ひとりじゃ、ムコスケの世話ができないんです。ごはんの用意も、散歩も一人じゃできなくて。ムコスケ、ぼくと両親の言うことはよく聞くんですけど、姉だけはなめられてるんですよねえ」
 芦川さんが分かりやすく頬を膨らませていじけてみせ、運転席の弟に腕を伸ばして軽く叩く。何か言うかと思ったが、もおお、と声を上げただけだった。

p80より引用

 二谷に関する考察で、二谷は職場での芦川さんとプライベートの芦川さんは違うと信じていたのではないか、ということを書いた。80ページを見る限り、職場でも家でも彼女は変わらないようだ。やりたくないことはやらない。
 弟に反論しないところを見ると、この人は「できない」と思われることに抵抗がないんだろうなと思う。二谷や押尾さんとはまったく違う考え方だ。そもそもやりたいと思っていないから、できないと思われた方が都合がいいのだろう。

 普段は丸の内の商社で働いているというそのお料理上手な人は、仕事が忙しいはずなのに毎日おしゃれなごはんを作っていて、休日にはお菓子作りもしていて、それらの写真をSNSにアップしているのがすごい人気で、きっといつか書籍化するんじゃないかと思っている、などと、目を輝かせて話すので、「そうなりたいんですか」と聞いてみると、芦川さんはぱっと口を動かすのを止めて、「そうかも」と納得したようにつぶやいた。

p89より引用

 料理とお菓子作り。どちらも芦川さんの好きなことだ。インフルエンサーとして自分の好きな料理やお菓子を発信するというのは、芦川さんにとってはやりたいことだけをやれる夢のような仕事かもしれない。
 潰したお菓子を机の上に置いたのが二谷だと気づいていたのに、何故黙っていたのか。何も言わないでいれば、そのまま二谷が結婚してくれそうだったからではないか。結婚して、夫を支えるために退職。そうすると料理やお菓子作りに使える時間が増える。インフルエンサーに近づける。それを狙っていたんじゃないだろうか。
 考察は以上である。


 読んでいて不快になると言ったが、私はこの作品が嫌いではない。むしろ好きだ。不快になるほど引き込まれる本を久しぶりに読んだ。読めば読むほど発見があるし、考察しがいがある。
 他の人の考察にも興味があるので、コメントをいただけると嬉しい。

 余談になるが、気づいたことがある。私は作品や登場人物の心情を考察するのが好きなのだけど、実生活でも同じことをしていたから、これまでとてつもないストレスを感じていたのだと思う。
 考察してしまうのは主に違和感があったときで、その裏には相手の悪意があることもある。自分を守るためにスルーすべきことまで考えてしまう。私のこれは癖のようなものだ。だから、芦川さんのような人と出会うことがないように祈っている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?