無職飽きた

無職になって二週間ちょっと。飽きてきた。
こういうと今まさに身を粉にして働いている方からは贅沢者めと言われそうだが、無職を楽しめるのは金がある人間だけである。
頑張って貯めた金で平日にいいものを食べたり旅行をしたり……なんてのは楽しいだろうけど、金もなくただ一日ぼうっと過ごすのは退屈だし狂気との戦いである。
とはいえ手をこまねいても仕方ないので図書館に行ってみた。家の近所に図書館があることに無職になってから気づいた。これはなかなか勝ち組の無職である。
とはいえ中古の類があまり得意ではなく、コロナ以降衛生観念も高まっているので「読みたいかどうか」より「手に取れるレベルの綺麗さかどうか」で本を選ぶ。そんなわけで流行りの本は論外なのだ。
テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を読んだ。長年ロボトミー手術の話だと思っていたがそれは作者(の姉)におきた実話で、実際は神経の細い姉とその姉をなんとか嫁がせようとする母の話であった。
行き遅れで職業訓練にも通えず公園や植物園で暇を潰す姉は自分のことのようで、古い時代に生まれていたら私はもっと頭のおかしい人間として扱われていただろうと思った。
面白かったが、『欲望という名の電車』の方が好みである。

こうして本を読んだり日記を書いたり、気が向いた時に二次創作をしていて思うのが、自分は本当に社会に必要がないということと、生きる上での希望が全くないことだ。
躁鬱による感情の変化は目まぐるしく、いろんな資格を調べては「次はなんの仕事に就こうか」なんて考える日もあれば、口をぽかんと開けたまま手首を切り続けている日もある。
「もうだめだ」という発作が起きた時に飲むための頓服のおかげでだいぶ腕は綺麗になってきた。
脚が内出血まみれで覚えがないので病院に行ったら「自傷してませんか? 殴ったり打ち付けていませんか?」と聞かれたが正直わからない。どこかでぶつけた可能性の方が高いが、万が一のことも考えて血液検査をしてもらったらすこぶる健康だった。
生きたくないなと思いながらこうしたメンテナンスをするのはなんだか滑稽である。

引きこもりながら大量の飯を食っていたら五日で一キロ太った。涼しくなってきたので散歩でもしようかと思う。
猫は可愛い。


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