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予定不調和(回想録)

昨年の今日、新潟ビール醸造株式会社の代表取締役に就任した。

まったくもって晴天の霹靂。
今では、「どうして塾の先生がビール屋さんに?」と取材があるぐらい。
自分でも「なんで?」なのである。

ただ、そこには塾講師を辞めるまでのいきさつが重要だった。

当時とても大切な中学2年生のクラスを受け持っており、彼ら彼女らは私がいなくなるなんて、1ミリも思っていなかっただろう。
そりゃ、精鋭部隊で、首都圏での受験も控えている生徒も多いクラスから担任が最後の1年残して消えるなんて想像もしていない。

しかし、私は、その数年前から塾講師を辞める準備はしていたため、「いつまでもいるとは思うな」と伝えていたが、本当にいなくなることが決まったときは、恨まれるなと思った。

黙って出ていくことは子どもたちに申し訳ないため、特例で、最後の授業を引き伸ばし、離れる経緯の話をし、保護者にも手紙をお渡しさせてもらった。

そのとき話したのは、
①この校舎に来る前から塾は辞めるつもりであったこと。
②だから、本来君たちとは出会えていないはずだったこと。
③辞める理由は、教育よりも経営というもっと違う視点に興味がでてしまったこと。
④いろいろな経験のために、あらゆる事業をみる部署にいき、かつ経営の学校に入学することも決まっていること。
⑤経営者になった姿を見せることを約束する。

ひと通り話をして、ある生徒が泣きながら言った。
「僕たちの夢を応援して、叶えるために頑張ってくれた先生の夢を応援しないなんて選択肢は僕たちにはない」と。

感動した。
2年でこんなに成長するのかと。
(子どもたちに教え説いてきたことは、今度noteにも書こうと思う)
その言葉で誰も「いてほしい」と言えなくなった感はあったが、一緒に頑張るんだという一体感がそこにはあった。
親御さんたちも泣きながら送り出してくれた。 
それから会社を離れるその日まで毎日のように誰かしら会いに来るのだから、幸せ者だった。

こんなことがあったから、怠けられない。
2年間経営の勉強をして、事業計画も作り、やりたいことが明確になってきた。
その事業の協力者も集めていた矢先、経営支援していた今の会社の代表の話が出てきた。

当たり前に自分が準備している方を優先させたかった。
自分の興味とも縁遠い会社を再建するなんて、自分には無理だとも思っていた。
現状を担当教官に相談した。

さすが、経営のプロである。
返ってきた言葉は2つ
①そこであなたのやりたいことは本当にできないのか?
②遠回りしたときにしか手に入らないものも多い。
自分が嫌いな思い込みをしていることに気づかされた。

そして、子どもたちの姿も浮かんだ。
なんて後ろ向きに考えているのだろう。経営者の姿を見せると約束したのに、今の姿では怒られるなと。

経営者という責務が与えられた形であろうと、経営者は経営者であって、今まで学んだことを試して糧にする絶好の機会であり、難題に立ち向かっている姿を子どもたちは誇りに思ってくれるはず。

だから、私は今ここにいる。

予定調和なんてものを人生に求めたら、何にも面白くない。
何が起こるかわからない、予定不調和を楽しめる人間でありたい。
経営なんて予定不調和の何ものでもない。
苦しいことも多いが、苦しむぐらいなら楽しむ精神。
真面目に構えていても柔軟性が消えるし、喰らったときに痛い。

これからもそんな楽しんでいる姿を教え子たちに見せていられる自分でありたい。

               浅野 重幸

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