流行を越えろ

明けましておめでとう御座います。無事新年を迎え……っていう書き出しは最早使える訳も無く。
2023年の大晦日には数年ぶりに紅白を見ました。結局最低視聴率は更新しちゃったようだけど、個人的な感想としては割と楽しめた方だと思います。あ、でもKing Gnuとスピッツがいないのは納得できんぞ、せめて辞退であってくれ…

さて本題。紅白とレコ大の季節になると毎年毎年飽きるほど繰り返されてきたのが「そんな曲知らんぞ、ほんとに流行ってるのか!?」という論争。紅白に関してはそもそも国民の好みが多極化した現代で「最大公約数」的な選曲をすること自体不可能だとも言われているし、自分もそれには概ね同意。

音楽について、知っている・いないの議論は不毛だと思う。

まず、紅白の話だと人数なら多い高齢者を繋ぎ止めるための人選である演歌・歌謡曲勢と、国民的音楽番組の体裁を保つための若者向け流行歌(←死語?)勢がくっきり分かれているのは周知の事実。そこで当然老若男女入り乱れるネット上では論争が起こる。

「日本の音楽を総括する番組になぜよりによって韓国人がいるのだ!」
VS
「今年流行った訳でもないのに何十回も出てくる演歌歌手こそ既得権益でしょ!」

この対立が発展して
「最近の音楽はやかましくて難しいかナヨナヨしたものばかりで歌詞も旋律も薄っぺらい!」
VS
「老害が名曲扱いする曲こそ地味で薄味でどれも同じにしか聞こえない!」

というより普遍的な対立となる。
でもこの対立って普通に凄く不毛だと思うんです。音楽に限らず若害と老害の対立全般は不毛だろうけどね。
ヒエログリフで「最近の若者は」って書いてあったというのは最早有名過ぎる逸話だけど、結局老害はかつて最近の若者で、最近の若者はいつか老害になる。その上老害の気持ちは老害にならないと分からず、一度老害になったら若返れない。だからこそ、延々とこの罵り合いのループを続けても意味なんかないでしょう。
分かりやすく音楽で具体例を挙げよう。現在音楽老害やってるような50,60代の人達は若者だったころきっとロック全盛期がまだ続いていたはずで、親父さんに「ギターなんか背負って歩くのは不良のすることだ!」って言われて「なんでこの格好良さが分からないんだろう」って思ってた人がいるはずなんです。あなたたちはいま年を重ねて親父さんになっただけなんだと気付いてあなたたちの代でそのループを終わらせてみませんか、と。

最後に流行そのものについても触れないといけない。先述した通り自分の好むコンテンツだけを集中的に摂取し続けることが出来るインターネットの登場によって流行は多極化、そのコンテンツが流行していると認定されるために必要な支持者数のハードルが下がったことで自分が好きな訳でもないコンテンツに関してはその自身への影響力が非常に中途半端になってしまった。そうなるとさっきのような争いも増える。
あなたが他人に流行を押し付けていないのならば、他人のそういう言動に気分を害す必要もない。そろそろ流行ってる・いないという対立軸そのものが限界を迎えているので、こういう意味でも多様性っていう手垢のつきまくった言葉がもう一度重要になるのでは。

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